8 月 01

Last Lecture

CMUのRandy Pauschの”The Last Lecture”を見た。

文句なしに良かった。

ただ頭がいいんではなくて、
人として、
教育者として、
ただならぬ才能をもった
無類の人。

生き方そのものが澄み渡っている。

“If you lead your life the right way,
the karma will take care of itself.
The dreams will come to you.”
Randy Pausch

Randy Pauschのように
ときとしてリーダーシップを
発揮できる人になりたいと思った。

僕たちが学ぶことの
知ることの楽しみが
こんなにもわかりやすかったなんて
思わなかった。

僕をこれまで育て上げてくれた
両親(ともに教員)と
お世話になったたくさんの先生に
感謝の気持ちでいっぱいになった。

Randy Pauschのことは、
この先ずっと憶えていよう。

7 月 22

TURN TO THE SUN

太陽の方角を、日のあたる方を向く花は多い。澁澤龍彦の「記憶の遠近法 新装新版 (河出文庫 し 1-22)」を少し読んでいて、ヘリオトロープという名前の宝石を知り、同じ名前の花があることを知った。物知りな人の本を読んだり、話を聞いたりすることで、ときどき、いままで自分が知らずにきた、並々でない興味を引き出す物事を発見することがある。素晴らしき博物学。

7 月 17

Scientists, After All

科学者としての規範・倫理・正当性。研究者冥利に尽きる。人類共通の知的財産。真理の探究。科学技術立国。いろんな言葉が浮かぶけれど、つまるところ、科学者というのは何なのだろう。ここ数日、考えている。

自然科学=Natural Scienceの本質が、「いままで知られていなかったような知識を得ること」だとすれば、なにが、今まで知られていなかったことで、なにが、新しくわかったことなのか。知識とは何か。それによって、誰が利益を受けるのか。

自分は、科学者を目指していたときもあったけれど、いまはそんなに強くなりたいとは思わない。時期的には、相当遅い科学離れ。理科系の科目は嫌いではないけれど、よくよく考えてみれば、「思いきり考えること」や「頭をつかうこと」は、多かれ少なかれ、どんな系統の職業でもやることだ。科学者同士の閉鎖したコミュニティにいることはない。もっと、大きなスパンで物事を考えたくなった。

僕は考えることが好きだ。ずっと続けていても、たぶん飽きない。たまに、外を出歩きたくなることはあっても。

右脳も左脳もつかって、仮説思考もフレームワーク思考も抽象思考も、ロジカルシンキングもクリティカルシンキングも、なんでもかんでも取り入れて、思考し続けたいと思う。

Coldplay - The Scientist


- Coldplay Lyrics

Death Cab For Cutie - Prove My Hypothesis


- Death Cab For Cutie Lyrics

7 月 09

YOU REALLY GOT ME

最近読んでいる小説。前田司郎の『誰かが手を、握っているような気がしてならない

……
しかしわたしは神だ、神は死なない。結局どっちだ?うーん、しかしあれだ、なんだ、死があって初めて生きているよね、やっぱり。死がないんじゃ生の意味が変わってくるよね。人とかは、生といってもそれは死に続けることと同義であるから、生というのはそのまんま死であるといえるわけだけど、もし私が不死者であるなら、わたしにとっての生は、人の生とは全然違ってくる。純粋な生を生きているわけか私は。人の生は死でつくられたまがい物で、わたしの生は純粋な生。だけど、私も死ねるのだったら、結局、生というものは、死でできているのかなあ。
(中略)
わたしは全能であっても、言葉はそうではないのだ。あれ?ごめん、つまんなかった?
(『誰かが手を、握っているような気がしてならない』前田司郎)

いやー、面白い文体だなー。川上未映子に近いと思う。

The Kinks - You Really Got Me


Kinks Lyrics
You Really Got Me Lyrics

7 月 06

WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS

今日は、蒸し暑い一日でした。ブログのほうは、The Beatles三部作という気分。

自分の気質、性格にあまりひどく自分を釘づけにしてはいけない。われわれの根本の能力は、さまざまな習慣にたいして自分を適応させることができるということだ。どうしようもなくあるひとつの生き方に執着し、束縛されているのは、存在しているだけで、生きていることではない。もっともりっぱな魂というのは、もっとも多様さと柔軟さに富む魂なのだ。
(モンテーニュ、『エセー』Ⅲ-3 三つの交際について)

俗語に「つぶしがきく」という言葉がある。こだわりが強すぎてはいけない。何にでも通用する<汎用性>が大事なんだってことだろう。

わたしの運命が、わたしを、若いときから、ただひとつしかない完全無欠な友情へむかってわたしを仕込み、その味を覚えさせてしまって、本当のところ、ほかの友情にたいして少しばかり嫌気を起こさせ、そして、昔の人の言ったように、「友情は番(つがい)でいる動物で、群れになる動物ではない」ということを、考えのなかにしっかり刻みこんでしまった。
(モンテーニュ、『エセー』Ⅲ-3 三つの交際について)

うんうん。僕自身もどちらかというと、複数人で「群れる」ことは昔から避けてきたなあ。

本当の友情の場合には、わたしはその熟練者なのだが、わたしは、友だちをわたしのほうへ引っ張ってくるよりは、わたしを友達のほうへ持っていく。わたしは、彼がわたしによくしてくれるよりも、わたしが彼によくすることのほうを好むだけでなく、彼がわたしによりは彼自身によくすることを好む。彼が彼自身によくするときが、彼がわたしにもっともよくしてくれるときなのだ。もし、彼がその場にいないことが彼にとって楽しく有用だというならば、それは、わたしにとって、彼がその場にいるのよりももっとずっと甘美なのだ。それに、もしおたがいに消息を知らせあう手段がある場合、それは、本当にそこにいないことではない。
(モンテーニュ、『エセー』Ⅲ-9 むなしさについて)

抽象的すぎてわかりにくいけれど、言いたいことは何となく理解できる気がする。

The Beatles - With A Little Help From My Friends


- Beatles Lyrics

7 月 06

A DAY IN THE LIFE

モンテーニュを読み深めたい。そのために、解説を観る。

モンテーニュの思想と表現を把握するということは、われわれの経験の総量、われわれの手にしうるあらゆる手段、われわれにできるせいいっぱいの努力によって、それが存在する方角を「指向」して、それとのへだたりを確認することそれ自体である。思えば、他人の個人的体験であれ、文化であれ、すべてのものは、そのもの自体を所有するということは本来想定不可能で、受け取る人間のあり方にもとづいた、そのものへの指向と距離測定がおこなわれるだけでしかないものなのだった。
(中略)
それが、「古典」というものの力であり、運命でもあろう。過去に成立した世界像が、それを実現した人間の「責任」において果たされているとき、それは、歴史の中に生きるその人間の態度を、そのまま映し出す。そして、それが正しい像であるとき、われわれ後世の人間を、その展望の範囲のなかに、含みこんでいる。このふたつの条件を満たすものが、古典作品なのである。
それゆえ、そこには歴史の実体があり、人間の実質がある。後世の人間は、そこにたえずたちかえり、それらのものによって身を養う。そして、そこに、新しい時代の条件のなかに拡大されて理解しなおされるのに耐える、人間の本質についてのゆたかな考察を無限に発見しなおす。
(「モンテーニュの人と思想」荒木昭太郎)

自分について考察していたら、いつの間にか歴史に言及していたり、歴史を話していたら、いつの間にか自分自身の話題になっていたり、ということがある。歴史の実体と人間の実質。人間の歴史というのは、必ず、ひとりひとりの人間の眼を通してしか語ることができない。

それにしてもやはり、いいなあビートルズは。改めて聞くとすごさがわかる。

The Beatles - A Day In The Life


Beatles Lyrics
A Day In The Life Lyrics

6 月 18

太陽系外惑星を3つまとめて発見!


Three-of-a-kind planets found

Survey for ’super-Earths’ finds worlds like ours may be common.

nature newsより。地球から42光年離れた、HD 40307という、太陽に似た恒星の軌道をまわっている、惑星が3つ見つかりました。その3つは、地球の質量のちょうど4倍から9倍の質量をもっていて、3つのうちのあるものは、恒星を1周するのにわずか4日しかかかりません。つまり、これらの惑星は、僕たちの想像が及ばないくらいのスピードで、公転を続けているのです。

このような惑星は、”super-Earth”(超‐地球)?とよばれていて、天文学者たちには、なじみのある惑星なのだそう。”super-Earth”に生き物がいるとしたら、どういう形態と生態を有しているのでしょう。地球上の生物と比べて、まったく異なっているのでしょうか、それとも、案外、似ているのでしょうか。

太陽系外惑星に関しては、このブログで「太陽系外惑星を発見!」という話題をとりあげています。今後もフォローしていきたい、一大トピックです。

直接の関係はありませんが、Extra Planet、あるいはExtrasolar Planetと、英語の形容詞の”explanatory”が、何となく似た語感をもっているような気がしました。explanatoryは、「説明のための、注釈的な、解説の、説明的な」という意味をもっている言葉で、”explanatory note”は、「注釈、凡例」を意味します。僕という個人が、日常を過ごしながら、「自分自身に注釈をつける」という感覚に、けっこう、あっているなあと思ったりしました。ちなみに、”self-explanatory”は、「見ればすぐわかる、一目瞭然の、読んで字の通りの」という意味。人と人とのコミュニケーションにおいても、”self-explanatory”の要素があればいいのになあ。

6 月 07

旅について

普通に日常生活を送っていて、旅をしたくて仕方がないときと、旅はしなくていいや、と思うときとがある。

今の僕は、どちらかというと、前者の心境に当たる。考えているコースとしては、いろいろある。近くでは、葛飾・柴又の下町めぐり。東京の郊外を見に行くツアー。房総半島をぐるり一周。熊野・那智の森に入っていろいろ思いを巡らせてみたい。金沢21世紀美術館をみたい。博多方面にはまだ行ったことがないし、北海道もいいなあ。海外もいいなあ。

人が旅をするのは到着するためでなく、旅行するためである。
byゲーテ

私は旅行に出る理由を訊ねる人があると、いつもこう答えるようにしている。「私は、自分が何を避けようとするのかはよくわかるのだが、何を求めているのかはよくわからない」と。
byモンテーニュ

旅行は人間を謙虚にします。世の中で人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかをつくづく悟らされるからです。
byフローベル

人は旅をして、ついに我が家へ戻る。人は生きて、ついには大地へ戻る。
byイギリスの諺

以上、世界傑作格言集より。

そういえば、「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって~」で始まる歌があったなあ、と思い、しらべてみました。その曲は、くるりの”ハイウェイ”という曲でした。この歌にすごく似ている英語の歌があるのですが、思い出せなくてもどかしい。

旅立とうとしているあなたへ。
Bon Voyage!!

5 月 28

悩むことの健全さ

姜尚中氏は、在日韓国・朝鮮人二世で、東京大学大学院情報学環教授の政治学者。東大教授の中でも、きわめて特異な立場にいる姜尚中氏が、集英社新書から「悩む力」という本を出した。氏にしては珍しい「生き方本」だ。ビジネス本のタイトルではやりの「コミュニケーション力」「段取り力」「問題解決能力」「地頭力」等々にあやかってのネーミングかと一目見て思うが、注意しなければならない。おそらくそれとは正反対の計らいと考えるべきだろう。「悩む力」は、「ナヤムリョク」と読ませるのではなく、何もひねらず「ナヤムチカラ」と読むことが期待されているのだろう。類書と似ているようで、まったく違う。機知に富んだ皮肉が漂う。

僕は、姜尚中氏の講義を実際に受けたことがあるし、テレビ番組で拝見したこともある。姜尚中氏を知っている者ならだれでも、知性あふれる外見のスマートさと、スタイルの良さと、服のセンスの良さには溜め息を漏らすものだ。しかし、僕が注目するのは、氏の「声」だ。すべてを引き受けた人間が発する「声」。その声はかぼそく、慎重であるようでいて、奥底にある決意を聴衆に感じさせる。ファンが増えるのも無理はない。情熱=passionと冷静=coolが互いを主張しあうことなく一人の人間の内に共存している。僕は、姜尚中氏の話を聞いて、デューラーの描いた絵の素晴らしさを知ったし、ハンナ・アーレントの「人間の条件」に興味をもったし、エドワード・サイードの生涯に惹かれたのだった。姜尚中氏は、サイードを語るとき、いつも、サイードと自分との位置関係を確認しているようだ。先人と自分との距離を確かめることで、今の自分の方向性を調整する。そんな姿勢が見受けられる。

――最近は悩むことそのものが格好悪いという空気があるような気がしますね。

 みなさん、悩むことを不幸の種と考えているようだけど、これは不健全なことです。インターネットを見ても、「なぜあの人がああで私がこうなのか」「悩みのない人はむかつく、許せない」など、そういう情念の海が広がっています。でもね、僕は不健全だと思う。

 実はね、悩むことも喜び。そのことに気づかないとね、ダメだと思うんですよ。やっぱり悩まないと、自分というものが分からないし、自分にとって大切なものも分からない。今のような悩むことを是としない風潮が、今の閉塞感を生み出しているんじゃないでしょうか。悩みをくぐり抜けないと、生きる力や思考力、創造的なアイデアは出てこない。それで、こういう本を書こうと思ったんですね。
(日経ビジネスオンラインの記事を引用)

「悩むことは、決してネガティブなことではない。」と姜尚中氏は語る。最近の風潮では何かと、下のようなフローが成り立ってしまっているようで厄介だ。

悩む ⇒ 凹む or 落ち込む ⇒ 引き籠る or 一人で塞ぎこむ ⇒ 絶望する ⇒ 再起不能に陥る

しかし、そんなことはない。たとえば、思春期の悩みがそうだ。男の子なら、声が低くなったり、親に反発したくなったりする。女の子なら、顔にニキビができてきたりして、悩む。でも、悩みを抱えながらもなんとかやっていけることに次第に気づく。

悩む

①いたみ苦しむ。病む。

②苦しむ。こまる。思いわずらう。

③とやかく非難する。

④(他の動詞の連用形について)…に難儀する。…しかねる。

(広辞苑第六版より)

そもそもの「悩む」の意味は、「苦しむ」に相当するということだ。それも、苦しみには「痛み」が伴う。

(姜) 悩み抜いて、突き抜けると、人間は必ず“横着”になれる。横着になった時、意外と死ぬなんてばからしい、もっとこんな生き方をしてみようか、という考え方になるんじゃないでしょうか。ここで言う横着とは、「悩み抜いて怖いものがなくなる」という状況と同じと考えてもらっても構いません。

(日経ビジネスオンラインの記事より)

必要なのは、悩み抜くこと。有益な情報をいくら提示されても、自分で答えを探すことができなければ仕方がない。つまり、「自分で答えを出す」その瞬間は、人を頼りにすることができない。悩み抜くことは、言い換えれば、孤独を偲ぶことと同じなのかもしれない。僕は、日経ビジネスオンラインの記事しか見ていないが、本書のほうも購入して読みたいと思う。

思い起こされるのは、有名なこのコトバ。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

(mens sana in corpore sano)(ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」から)身体が強健であってこそ精神も健全である。(広辞苑第六版より)

もしくは、英語では下の表現。

A sound mind in a sound body.

 

5 月 25

十人十色

ourselves

十人十色

人の好む所・思う所・なりふりなどが一人一人みんなちがうこと。(広辞苑第六版より)

十人十色といっても、じつのところ、バリエーションは限られていて、256色のうちのどれかを選択しているだけにすぎないのかもしれない。たとえば、ゴスロリは、ゴスロリになるべく日頃努力しているわけであって、いつのまにかなっていたというわけではないように。だから、基本となるコンポーネントはみんな一緒なんだと思う。

僕は、なんというか、イラストと故事成語・格言が好きらしいということがわかってきた。