7 月 06

WITH A LITTLE HELP FROM MY FRIENDS

今日は、蒸し暑い一日でした。ブログのほうは、The Beatles三部作という気分。

自分の気質、性格にあまりひどく自分を釘づけにしてはいけない。われわれの根本の能力は、さまざまな習慣にたいして自分を適応させることができるということだ。どうしようもなくあるひとつの生き方に執着し、束縛されているのは、存在しているだけで、生きていることではない。もっともりっぱな魂というのは、もっとも多様さと柔軟さに富む魂なのだ。
(モンテーニュ、『エセー』Ⅲ-3 三つの交際について)

俗語に「つぶしがきく」という言葉がある。こだわりが強すぎてはいけない。何にでも通用する<汎用性>が大事なんだってことだろう。

わたしの運命が、わたしを、若いときから、ただひとつしかない完全無欠な友情へむかってわたしを仕込み、その味を覚えさせてしまって、本当のところ、ほかの友情にたいして少しばかり嫌気を起こさせ、そして、昔の人の言ったように、「友情は番(つがい)でいる動物で、群れになる動物ではない」ということを、考えのなかにしっかり刻みこんでしまった。
(モンテーニュ、『エセー』Ⅲ-3 三つの交際について)

うんうん。僕自身もどちらかというと、複数人で「群れる」ことは昔から避けてきたなあ。

本当の友情の場合には、わたしはその熟練者なのだが、わたしは、友だちをわたしのほうへ引っ張ってくるよりは、わたしを友達のほうへ持っていく。わたしは、彼がわたしによくしてくれるよりも、わたしが彼によくすることのほうを好むだけでなく、彼がわたしによりは彼自身によくすることを好む。彼が彼自身によくするときが、彼がわたしにもっともよくしてくれるときなのだ。もし、彼がその場にいないことが彼にとって楽しく有用だというならば、それは、わたしにとって、彼がその場にいるのよりももっとずっと甘美なのだ。それに、もしおたがいに消息を知らせあう手段がある場合、それは、本当にそこにいないことではない。
(モンテーニュ、『エセー』Ⅲ-9 むなしさについて)

抽象的すぎてわかりにくいけれど、言いたいことは何となく理解できる気がする。

The Beatles - With A Little Help From My Friends


- Beatles Lyrics

7 月 06

A DAY IN THE LIFE

モンテーニュを読み深めたい。そのために、解説を観る。

モンテーニュの思想と表現を把握するということは、われわれの経験の総量、われわれの手にしうるあらゆる手段、われわれにできるせいいっぱいの努力によって、それが存在する方角を「指向」して、それとのへだたりを確認することそれ自体である。思えば、他人の個人的体験であれ、文化であれ、すべてのものは、そのもの自体を所有するということは本来想定不可能で、受け取る人間のあり方にもとづいた、そのものへの指向と距離測定がおこなわれるだけでしかないものなのだった。
(中略)
それが、「古典」というものの力であり、運命でもあろう。過去に成立した世界像が、それを実現した人間の「責任」において果たされているとき、それは、歴史の中に生きるその人間の態度を、そのまま映し出す。そして、それが正しい像であるとき、われわれ後世の人間を、その展望の範囲のなかに、含みこんでいる。このふたつの条件を満たすものが、古典作品なのである。
それゆえ、そこには歴史の実体があり、人間の実質がある。後世の人間は、そこにたえずたちかえり、それらのものによって身を養う。そして、そこに、新しい時代の条件のなかに拡大されて理解しなおされるのに耐える、人間の本質についてのゆたかな考察を無限に発見しなおす。
(「モンテーニュの人と思想」荒木昭太郎)

自分について考察していたら、いつの間にか歴史に言及していたり、歴史を話していたら、いつの間にか自分自身の話題になっていたり、ということがある。歴史の実体と人間の実質。人間の歴史というのは、必ず、ひとりひとりの人間の眼を通してしか語ることができない。

それにしてもやはり、いいなあビートルズは。改めて聞くとすごさがわかる。

The Beatles - A Day In The Life


Beatles Lyrics
A Day In The Life Lyrics

6 月 27

Saying “YES” To This World

作家の保坂和志さんに対する興味がものすごく高まってきている。はじめて、保坂和志さんの文章を読んだのは、数か月前のことで、銀行の待合席の棚に置いてあった、「風の旅人 vol.28 (28)」という、写真がメインの雑誌に連載されていたコラムだった。その4ページほどの2段組みの文章を読んですぐに、「この人はタダ者ではない」と直感した。保坂和志さんは、1956年生まれの、山梨県生まれ、鎌倉育ちの作家。早稲田大学政経学部に6年間在学して卒業。1956年生まれというと、ちょうどの僕の親の世代に相当する。風貌は、眉毛が濃くて、朗らかな感じがする。大の愛猫家。1990年に『プレーンソング』でデビュー。デビュー前に働いていたのは、西武百貨店のコミュニティ・カレッジ。小説を書くための時間があるという理由で就職先を選んだ、とウィキペディアには書かれている。1995年、『この人の閾』で芥川賞受賞。ちょっと読んでみたが、公式ページでは、自分書いた小説を自分で評価している。どこかで読んだのだが、保坂さんは、小説を書くとき、すごく苦労して文章を頭からひねり出すタイプの「難産型」の作家みたいだ。以下のリンクは、松岡正剛氏による書評と、ほぼ日の経験論。

保坂和志さんは、小説に限らず、小説の書き方入門『書きあぐねている人のための小説入門』や、文学批評のようなものもやっている。小説外の活動として、最たるものは、『世界を肯定する哲学 (ちくま新書)』だろう。先日、三省堂書店で購入して、読み始めている。タイトルに<哲学>と書かれているが、保坂さんは、<哲学者>を名乗っているわけではない。しかし、コミュニティ・カレッジで働いていたときに、哲学・現代思想のワークショップを開催していたため、哲学への造詣は深い。『哲学や精神分析を専門とされている方には書けない大胆さと世界や人間を「肯定したい」という強い意志があって、私自身繰り返し読んでみても楽しいので、再読か三読に耐えるだけの魅力があると思います。』と書かれているように、「門外漢が哲学をやってみました」という雰囲気がしていて、とてもリラックスして読める。

本書を少し読んでみると、第1章は「そもそも人間は存在しなかったのではないか」ではじまる。宇宙論と実存哲学的な論考がなされている。

私たちは自分が生まれる前から世界がずっと存在していたことを知っているし、自分が死んだ後も世界が消滅せずに存在し続けることを知っている。しかし、「知っている」といってもそれは知的な解釈として知っているだけで、目撃することは絶対にできない。自分が存在しない世界は不可解で受け入れがたい。本心を言ってしまえば、そんなもの存在しないのと同じだ。
「世界を肯定する哲学 17頁」傍点を太字に変更

文体は、非常に理性的で客観的。しかし、それでいて、「自然科学礼賛」はしない。

科学のディスクールが明快なのは、科学そのものが明快な基盤にのってしゃべるように構成されている(と同時に限界づけられている)からであって、「自然科学とは我々が現時点でもっている分析的な言葉で記述可能なものだけを対象とする思考の領域である」という意味のことを、ホーキングもハイゼンベルクもはっきりと書いている。科学の明快さは答えにならない。
「世界を肯定する哲学 20頁」

分析哲学・科学哲学的な、メタな議論の部分を引用した。言語化された科学的知見は「明快」で、誰にも理解可能なように設計されている、ということには僕も同意する。全面的に。

それがこの宇宙という想像力で、
「そもそも人間はこの宇宙に存在しなかったのではないか」
と考えるとき、おかしな言い方だが、私は胸の中が宇宙空間になったような気がする。
―こんな比喩はどうでもいいけれど、宇宙というものが人間に存在することを根底から奪うという想像の稀有な源泉であり、そのときの、言葉も思考も遮断された状態こそが、自分自身の「存在」を実感する契機なのだと私は思う。
「世界を肯定する哲学 25頁」

僕は近頃、「自分自身の死」を考えるようになった。僕は、死の恐怖はあまり感じない。それは、「まだ当分の間生きていけるだろう」という安心からではなくて、「自分が死ぬときは、死ぬんだろうな」、または「一つの、そして一回限りのイベントがあるんだろうな」という理解からくるものだ。<死>については、三木清の引用文がとても役に立つ。家系的に、50歳までに夭逝してしまいそうな雰囲気がしている。目標は、2045年=60歳の誕生日を迎えることなんだけれど、どうなんだろう。

All Kinds Of Time - Fountains Of Wayne

6 月 18

癌、このとらえがたきもの

cancer books & comics

最近、癌に対する興味が急速に高まってきた。

ひとつは、僕と親交のある、ジャーナリストの立花隆さんが、膀胱癌にかかって、今年のはじめに手術を受けて、癌との闘病歴を文藝春秋の「僕はがんを手術した」という連載で告白していること。2008年7月号では、最終回「がんという敵の正体」で、最新の科学的知見をたくさん用いて、がんとは何かを解説している。立花隆氏という人物のどこがすごいかというと、どんなことでも、自分の興味の対象にしてしまい、それをわかりやすく解説することで、氏の文章を読む人をも、それに興味をもつようにして、対象に引き込ませてしまうところ。これは、文章だけに限ったことではなく、お話をされるときも同様。「〇〇は××で、〇〇の△△というところが面白い」、というポイントを教えてくれるので、非常にわかりやすい。しかも、扱える分野が広大だ。哲学、宗教、自然科学(宇宙・地球・人間)、科学技術(電脳・サイボーグ)、政治・経済、文学、芸術・音楽、世界史・日本史…。このような人物は、後にも先にもいないのではないかと思う。稀有な人。

ひとつは、上の写真にあるとおり、平岩正樹という「スーパー外科医」の『がん難民にさせるものか 抗がん剤治療の最前線から』(実業之日本社)という本を図書館で借りて、読んだこと。読み終わって非常に感化されて、何かできないかと思い、とりあえず、ブックオフで『ブラックジャックによろしく』(モーニングKC)の【がん医療編①‐④】を購入した。そもそもなぜ、Dr.平岩のことを僕が知りえたかというと、Dr.平岩が『こうして私は53歳で、また東大生になった(海竜社)』という書物をだしたように、いま、東京大学の文科Ⅲ類にいて、3回目の東大生をやっているためだ。Dr.平岩が僕の所属するサークルの練習に顔を出すようになったということを、後輩をとおしてきき、本を読んでおこうと思ったのだった。

平岩正樹氏(公式サイト)は、静岡県の共立蒲原病院の外科部長だったとき、院内に「がんの相談室」を設置した(1995年)。さらに、2001年には、インターネットにも、「がんのWeb相談室」をつくった。当時は、医療機関においても、個人情報の開示の是非が議論され始めていた時期だ。そのころから、Dr.平岩は、癌の告知率100%を実現している。「手術が専門」と思われがちな外科医だが、Dr.平岩は、最新の情報を取り入れつつ、抗がん剤治療に積極的に力を入れている。本書を読むと、現在の日本の抗がん剤治療が、いかに不十分なものであるかが分かる。高齢化社会が到来し、医療費が財政を圧迫しつつある昨今、政府は医療費抑制のために、多くの対策を講じている。一方、なにかとマスコミが騒いでいるように、医療崩壊は確実に進行している。病院経営の観点から、赤字になっている事業=診療科を削る方針がとられている。小児科がその矛先にあるのはよく言われているが、抗がん剤治療も同様である。抗がん剤治療といっても、治療費自体はタダに等しく、支払われるお金の大部分は、製薬会社に対する薬代である。このため、抗がん剤治療を積極的に行おうとする病院は少なく、十分な抗がん剤を備えている病院は少ない。抗がん剤治療を専門とする医師の数も少ない。こうして、十分な抗がん剤治療を受けられないがん患者=がん難民が大量に発生する、と平岩氏は語る。このままでよいのか。そんなはずはない。Dr.平岩は、現行の体制に対して、(あたたかな)皮肉をこめて、痛烈に批判している。

【がん難民にならない方法】
がん難民にならない方法は、二つある。確実な方法は、進行したがんや再発がんの治療にも力を入れている病院で、最初から治療を受け始めることだ。採算を度外視して患者の治療に全力を注いでいる病院・外科医は、全国に少なくない。問題は、がんになったばかりの患者にとって、最初は医療の格差まで考える余裕がないことだ。

一度手術を受けた患者は、他の病院への転院が極端に難しくなる。その後の抗がん剤治療は無料と国が決めているからだ。それでも、途中から転院してきた患者にも質の高い抗がん剤治療を提供する病院がある。多くはない。
①パトロンがいること。
②優秀な医者がいること。
③患者に知られていないこと。
の三つの条件が必要だ。
(以上、『がん難民にさせるものか』「あとがき」より)

それにしても、がんとは一体何なのだろうか。アメリカ癌学会(ACS)の解説を多少長めに引用したい。

What Is Cancer?

Cancer occurs when cells in a part of the body begin to grow out of control. Normal cells divide and grow in an orderly fashion, but cancer cells do not. They continue to grow and crowd out normal cells. Although there are many kinds of cancer, they all have in common this out-of-control growth of cells.

Different kinds of cancer can behave very differently. For example, lung cancer and breast cancer are very different diseases. They grow at different rates and respond to different treatments. That’s why people with cancer need treatment that is aimed at their kind of cancer.

Sometimes cancer cells break away from a tumor and spread to other parts of the body through the blood or lymph system. They can settle in new places and form new tumors. When this happens, it is called metastasis (meh-tas-tuh-sis). Cancer that has spread in this way is called metastatic cancer.

Even when cancer has spread to a new place in the body, it is still named after the part of the body where it started. For example, if prostate cancer spreads to the bones, it is still called prostate cancer. If breast cancer spreads to the lungs, it is still breast cancer. When cancer comes back in a person who appeared to be free of the disease after treatment, it is called a recurrence.

(from American Cancer Society’s website)

医者の世界では当たり前というが、「癌」という名前の病気は無い。存在するのは、200種類もの「〇〇がん」で、性質や治療法がまったく異なる。これらをまとめて、癌(cancer)あるいは悪性腫瘍(malignant neoplasm)とよんでいるのである。

がんという問題は、その発症要因にしても、治療法にしても、いろいろな事象が絡み合って生じている、きわめて複雑な問題である。僕たちは、親戚の誰それががんになった、とか、有名人の某ががんと闘病している、とか、「がん」を個別の話題として、感傷的に語ることが多い。しかし、ヒトが長生きをするようになって、がんになるヒトが増えたという事実が示しているように、「がん」は、現代の僕たちの生活と、切っても切れない縁にあることは確実だ。もっと普遍的な事柄として、癌を観て、がん患者を診る/看ることが大事だと思う。それとともに、日本の医療体制がもっとフレキシブルになることを願う。

6 月 10

個人と社会

insane

もっと、みんな、自分を尊重して、かつ、相手を大切に思うことが必要なんじゃないか。都会に人はあふれるほどいるけれど、たくさん人がいるからって、その名前を知らない人々のことを、無神経に不当に扱ったりするのはよくない。人間なんだから、感覚器官と、運動器官と、大脳皮質の、よりよい使い方を目指さなくては。脊髄反射に頼っていてはいけない。いいはずがない。ゲーテを引いてみる。

愚か者と賢い人は同様に害がない。半分愚かな者と半分賢い者とだけが、最も危険である。
(「親和力」第二部第五章から)

ひそかに清く自己を保持せよ。
自分の周りは荒れるにまかせよ。
君が人間であることをより多く感じれば感じるほど、
君は神々により多く似てくる。
(「温順なクセーニエン」第四集から)

必ずしも、絶対的なものではなくていいけれど、<何か>を信仰する心を身につけたいですね。
今日は、手短に。

Radiohead - I Am Citizen Insane

ついでに。

Royksopp - Remind me

The Faint - Agenda Suicide

6 月 07

旅について

普通に日常生活を送っていて、旅をしたくて仕方がないときと、旅はしなくていいや、と思うときとがある。

今の僕は、どちらかというと、前者の心境に当たる。考えているコースとしては、いろいろある。近くでは、葛飾・柴又の下町めぐり。東京の郊外を見に行くツアー。房総半島をぐるり一周。熊野・那智の森に入っていろいろ思いを巡らせてみたい。金沢21世紀美術館をみたい。博多方面にはまだ行ったことがないし、北海道もいいなあ。海外もいいなあ。

人が旅をするのは到着するためでなく、旅行するためである。
byゲーテ

私は旅行に出る理由を訊ねる人があると、いつもこう答えるようにしている。「私は、自分が何を避けようとするのかはよくわかるのだが、何を求めているのかはよくわからない」と。
byモンテーニュ

旅行は人間を謙虚にします。世の中で人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかをつくづく悟らされるからです。
byフローベル

人は旅をして、ついに我が家へ戻る。人は生きて、ついには大地へ戻る。
byイギリスの諺

以上、世界傑作格言集より。

そういえば、「僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって~」で始まる歌があったなあ、と思い、しらべてみました。その曲は、くるりの”ハイウェイ”という曲でした。この歌にすごく似ている英語の歌があるのですが、思い出せなくてもどかしい。

旅立とうとしているあなたへ。
Bon Voyage!!

5 月 28

悩むことの健全さ

姜尚中氏は、在日韓国・朝鮮人二世で、東京大学大学院情報学環教授の政治学者。東大教授の中でも、きわめて特異な立場にいる姜尚中氏が、集英社新書から「悩む力」という本を出した。氏にしては珍しい「生き方本」だ。ビジネス本のタイトルではやりの「コミュニケーション力」「段取り力」「問題解決能力」「地頭力」等々にあやかってのネーミングかと一目見て思うが、注意しなければならない。おそらくそれとは正反対の計らいと考えるべきだろう。「悩む力」は、「ナヤムリョク」と読ませるのではなく、何もひねらず「ナヤムチカラ」と読むことが期待されているのだろう。類書と似ているようで、まったく違う。機知に富んだ皮肉が漂う。

僕は、姜尚中氏の講義を実際に受けたことがあるし、テレビ番組で拝見したこともある。姜尚中氏を知っている者ならだれでも、知性あふれる外見のスマートさと、スタイルの良さと、服のセンスの良さには溜め息を漏らすものだ。しかし、僕が注目するのは、氏の「声」だ。すべてを引き受けた人間が発する「声」。その声はかぼそく、慎重であるようでいて、奥底にある決意を聴衆に感じさせる。ファンが増えるのも無理はない。情熱=passionと冷静=coolが互いを主張しあうことなく一人の人間の内に共存している。僕は、姜尚中氏の話を聞いて、デューラーの描いた絵の素晴らしさを知ったし、ハンナ・アーレントの「人間の条件」に興味をもったし、エドワード・サイードの生涯に惹かれたのだった。姜尚中氏は、サイードを語るとき、いつも、サイードと自分との位置関係を確認しているようだ。先人と自分との距離を確かめることで、今の自分の方向性を調整する。そんな姿勢が見受けられる。

――最近は悩むことそのものが格好悪いという空気があるような気がしますね。

 みなさん、悩むことを不幸の種と考えているようだけど、これは不健全なことです。インターネットを見ても、「なぜあの人がああで私がこうなのか」「悩みのない人はむかつく、許せない」など、そういう情念の海が広がっています。でもね、僕は不健全だと思う。

 実はね、悩むことも喜び。そのことに気づかないとね、ダメだと思うんですよ。やっぱり悩まないと、自分というものが分からないし、自分にとって大切なものも分からない。今のような悩むことを是としない風潮が、今の閉塞感を生み出しているんじゃないでしょうか。悩みをくぐり抜けないと、生きる力や思考力、創造的なアイデアは出てこない。それで、こういう本を書こうと思ったんですね。
(日経ビジネスオンラインの記事を引用)

「悩むことは、決してネガティブなことではない。」と姜尚中氏は語る。最近の風潮では何かと、下のようなフローが成り立ってしまっているようで厄介だ。

悩む ⇒ 凹む or 落ち込む ⇒ 引き籠る or 一人で塞ぎこむ ⇒ 絶望する ⇒ 再起不能に陥る

しかし、そんなことはない。たとえば、思春期の悩みがそうだ。男の子なら、声が低くなったり、親に反発したくなったりする。女の子なら、顔にニキビができてきたりして、悩む。でも、悩みを抱えながらもなんとかやっていけることに次第に気づく。

悩む

①いたみ苦しむ。病む。

②苦しむ。こまる。思いわずらう。

③とやかく非難する。

④(他の動詞の連用形について)…に難儀する。…しかねる。

(広辞苑第六版より)

そもそもの「悩む」の意味は、「苦しむ」に相当するということだ。それも、苦しみには「痛み」が伴う。

(姜) 悩み抜いて、突き抜けると、人間は必ず“横着”になれる。横着になった時、意外と死ぬなんてばからしい、もっとこんな生き方をしてみようか、という考え方になるんじゃないでしょうか。ここで言う横着とは、「悩み抜いて怖いものがなくなる」という状況と同じと考えてもらっても構いません。

(日経ビジネスオンラインの記事より)

必要なのは、悩み抜くこと。有益な情報をいくら提示されても、自分で答えを探すことができなければ仕方がない。つまり、「自分で答えを出す」その瞬間は、人を頼りにすることができない。悩み抜くことは、言い換えれば、孤独を偲ぶことと同じなのかもしれない。僕は、日経ビジネスオンラインの記事しか見ていないが、本書のほうも購入して読みたいと思う。

思い起こされるのは、有名なこのコトバ。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

(mens sana in corpore sano)(ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」から)身体が強健であってこそ精神も健全である。(広辞苑第六版より)

もしくは、英語では下の表現。

A sound mind in a sound body.

 

5 月 25

十人十色

ourselves

十人十色

人の好む所・思う所・なりふりなどが一人一人みんなちがうこと。(広辞苑第六版より)

十人十色といっても、じつのところ、バリエーションは限られていて、256色のうちのどれかを選択しているだけにすぎないのかもしれない。たとえば、ゴスロリは、ゴスロリになるべく日頃努力しているわけであって、いつのまにかなっていたというわけではないように。だから、基本となるコンポーネントはみんな一緒なんだと思う。

僕は、なんというか、イラストと故事成語・格言が好きらしいということがわかってきた。

5 月 25

らくがき

satan

魔王といえば、キリスト教では、サタン、あるいはルシファー、あるいはベルゼブブ。イスラム教では、イブリース。ゾロアスター教では、ヴェンディダードの7大魔王。バビロニア神話では、パズズ。仏教では、天魔(マーラ)。

サタンといえば、『失楽園』。『失楽園』といえば、ジョン・ミルトンが記した一大叙事詩。ミルトンの言葉。

目覚めよ、立てよ、さなくば永遠に堕ちてあれ。

Awake, arise, or be forever fallen!

『失楽園』第一書より

君の生命を愛するな、また憎むな。ただ君が生きる人生を/善く生きよ。長きにせよ短きにせよ、天に許された生を。

Nor love thy life, nor hate; but what thou liv’st
Live well; how long or short permit to Heaven.

『失楽園』第十一書より

どうみても、僕の描いた魔王の絵は、鳥山明のイラストにしかみえません。

5 月 22

モンテーニュが気になる

モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne,1533-1592)が気になってきた。16世紀ルネサンス期にフランスに生きたモラリスト。Wikipediaで調べると、下のリンクを見つけた。モンテーニュの思想がコンプリートされている。ただし、英語。

The Complete Essays of MICHEL DE MONTAIGNE

Wikipediaより

Wikiquoteより引用。フランス語と併記されていてよい。

私は何を知っているのか(いや、何も知らない)。

Que sais-je?

世界でもっとも偉大なことは、己自身を知ることである。

La plus grande chose du monde, c’est de savoir être à soi.

偶然の出来事を調整することはできない。だから私は自分自身の身を修める。

Ne pouvant régler les événements, je me règle moi-même.

これは、引用するほかはありませんね。

ところで、ルネサンスの三大発明といえば、①活版印刷術、②羅針盤、③火薬ですね。現在進行中で起きている/起きてしまったIT革命に匹敵する発明が、当時のグーテンベルクの活版印刷術といわれています。それでは、現代の三大発明の残り二つは何なのでしょう?羅針盤がGPSに相当するとしても、GPSはIT革命の内に含まれるでしょう。携帯電話もIT革命の範疇。考えてみるのが面白いですね。