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VII
Posted on 1月 31st, 2010 2 comments今年1月29日(金)の午後1時からおよそ50分間、みなさんはなにをしていましたか?
僕は、鳩山内閣総理大臣施政方針演説をワンセグ携帯ではじめから最後まで視聴していました。
(前略)地球のいのちを守りたい。
この宇宙が生成して百三十七億年、地球が誕生して四十六億年。その長い時間軸から見れば、人類が生まれ、そして文明生活をおくれるようになった、いわゆる「人間圏」ができたこの一万年は、ごく短い時間に過ぎません。しかし、この「短時間」の中で、私たちは、地球の時間を驚くべき速度で早送りして、資源を浪費し、地球環境を大きく破壊し、生態系にかつてない激変を加えています。約三千万とも言われる地球上の生物種のうち、現在年間約四万の種が絶滅していると推測されています。現代の産業活動や生活スタイルは、豊かさをもたらす一方で、確実に、人類が現在のような文明生活をおくることができる「残り時間」を短くしていることに、私たち自身が気づかなければなりません。
私たちの叡智を総動員し、地球というシステムと調和した「人間圏」はいかにあるべきか、具体策を講じていくことが必要です。少しでも地球の「残り時間」の減少を緩やかにするよう、社会を挙げて取り組むこと。それが、今を生きる私たちの未来への責任です。本年、わが国は生物多様性条約締約国会議の議長国を務めます。かけがえのない地球を子どもや孫たちの世代に引き継ぐために、国境を越えて力を合わせなければなりません。(以下略)
(第174回国会における鳩山内閣総理大臣施政方針演説より、抜粋)この日、この時間に施政方針演説があるということも、このような歴史的大演説となるということも知らなかったのに、そして僕は普段からテレビを見ていなくて、まして大学にいる真昼間にテレビを見てみようと考えたこともないというのに、この日だけは、なぜか午後1時になるとともにNHK総合を表示させたのでした。
<いのち>というキーワードが何回も何回もでてくる演説でした。
私たち日本人が<いのち>をどうとらえてきたのか、そして<いのち>とはそもそもどんなものだったのか、ということから考えさせられる内容でした。
<いのち>とは何か。わたしたちが、平成に入ってこのかた、まっしぐらに突き進んできたと思っていたものは、実は袋小路での堂々巡りにほかならなかったのではないか。何を本当の価値としてとらえるべきだったのか。
わたしたちが<いのち>を考えるとき、なんといっても<愛>を述べないことにはいきません。どうしてわたしたちは、これほどまでに悩み、苦しみ、生き抜かなくてはならないのか。なにが善くて、なにが悪いのか。いま、その階層まで潜っていって、潜在的なレベルから、物事を捉え直さなくてはいけないのです。
鳩山総理が、マハトマ・ガンジーの「七つの社会的大罪(7 deadly sins)」を引用したところが印象的でしたが、同様にキリスト教にも「七つの大罪」という考え方が存在することは知られていますね。映画『セブン』(デヴィット・フィンチャー監督、モーガン・フリーマン、ブラッド・ピット出演)での主題となっています。
ガンジーによる大罪は、死すべきものかもしれません。しかし、不義(unrighteousness)に関しては、死すべきものではない、と聖書に書かれています。つまり、わたしたちは、これまでやってきたことを反省し、あらたな良識ある生活をはじめることによって、まったく変わることができるチャンスがまだ、存在するのです。それが希望ということです。
The Killers – Human
ジャーナル, 引用, 政治・ポリティックス, 聖書 -
本を読む人
Posted on 11月 29th, 2009 No comments過去を見つめ
出来事を記し
未来を見据え
思いを定めつつ
いまを生きるやるべきことがある
なにをどうやるかなんていうことは
とっくのむかしから知っているEverything is Borrowed – The Streets
これを歌ってるMike Skinnerも相当の読書家らしい。 -
TRAVIS JAPAN TOUR
Posted on 3月 1st, 2009 No commentsきのうTRAVISの来日公演に行ってきた。
会場は国際フォーラムホールA。
これまでホールBと展示ホールには入ったことがあった。TRAVISはUK出身のロックバンド。ロックバンドと称しているにもかかわらず、とんがったところがまるでなく、反骨精神の欠片もみられない。聞くとふわっと浮いた感じになって楽しくなる曲が多く、歌詞をみるとバラード系のものが多い。位置づけとしては、日本でいう「歌謡曲」に相当するのかも知れない。イギリスにはアメリカのようなカントリーミュージックの伝統がないから、TRAVISはロックの亜型とみなすべきだろう(音楽批評雑誌風)。
TRAVISの来日は実に10年ぶり。2004年のライブの予定はキャンセルされた。僕がTRAVISを聴きだしたのは2004年以降なので、ファンとしては新しいほう。ライブの最後に、「近いうちにまた来るよ」みたいなことを英語でしゃべっていたので期待している。
TRAVISの音楽は、メロディーがやさしく、歌詞がハートウォーミング。ボーカルのフランのよく伸びる声がその印象をさらに強める。歌詞は「永遠のティーンエイジャー」的でピュアでかつシンプル。天気に関係したフレーズがよく出てくる。
たとえば、”Why does it always rain on me?”はこんな感じ。
I cant sleep tonight
Everybody saying everythings alright
Still I cant close my eyes
Im seeing a tunnel at the end of all these lights
Sunny days
Where have you gone?
I get the strangest feeling you belong
Why does it always rain on me?
Is it because I lied when I was seventeen?
Why does it always rain on me?
Even when the sun is shining
I cant avoid the lightning
(Travis – Why does it always rain on me?)ちょっと訳してみるとこんな感じ。
今夜は眠れないな/みんな全部大丈夫だって言っている/まだ目をつぶることができない/すべての光の端っこにトンネルが見える/天気が良い日/君はどこに行ってしまったの?/君がいるんじゃないかっていうすごく変な気がしているんだ。/どうしていつも僕の身に雨が降りかかってくるんだろう?/17歳のときに嘘をついたことが原因なの?/どうしていつも僕の身に雨が降りかかってくるんだろう?/太陽が輝いているときだって/稲光を避けられそうにない
曲に登場してくる「私」は、自信なさげで頼りなく、ナイーブだ。でもそんな「弱さ」を歌っているところがTRAVISが僕たちの共感を呼んでやまない理由なのだと思う。でも「私」は、現状認識をうまくしている。自分が何者か分かっていて、他者のことを良く理解している。弱いけれど柔軟さ・打たれ強さがある。
名曲”Flowers in the window”の歌詞の一部。
There is no reason to feel bad
But there are many seasons to feel glad, sad, mad
It’s just a bunch of feelings that we have to hold
But I am here to help you with the load
Wow, look at you now
Flowers in the window
It’s such a lovely day
And I’m glad that you feel the same
‘Cos to stand up in the crowd
You are one in a million
And I love you so let’s watch the flowers grow
(Travis – Flowers in the window)こちらも訳してみよう。
気を悪くする理由なんてないさ/でも喜んだり悲しんだりおかしくなったりする時期はけっこうあるよね/そういうのは僕たちが持たなければならない感情の束にすぎないわけで/だけど僕はここにいて君の荷物を背負って手助けする/わぁ、ほら見てごらん/窓から花が見える/なんてすてきな日なこと/それに君が僕と同じ風に感じてくれて嬉しいよ/人の群れの中にいても見つけられる/だって君は百万人中の一人だから/君を愛してるよ。さあ花が大きく育っていくのを見届けよう
これなら会場で女性ファンが半数近くを占めていたのもなんとなく頷ける。ライブは、僕がいままで見てきたライブの中でも最高に暖かい感じがした。ボーカルのフランがマイクを客席に向けてコーラスを促すパフォーマンスを見せるのは当たり前で、ベースがボーカルと交代して一曲丸丸歌ってしまったり、ボーカルがステージから降りてきたり、マイクやアンプなしでギターひとつで「生」の声を聞かせてくれたり。サービス盛りだくさんだった。メンバーのなかの良さが伝わってきた。
TRAVISの曲を一人でも多くの人が聞くようになれば、世の中もっと良くなると確信をもって言える。
セットリストをコピー。
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Chinese Blues
J. Smith
Selfish Jean
Writing to Reach You
Re Offender
Something Anything
Long Way Down
Love Will Come Through
Closer
Side
Driftwood
Falling Down
Sing
My Eyes
Beautiful Occupation
Before You Were Young
Turn-Encore-
Ring Out The Bell
Flowers In The Window
Why Does It Always Rain On Me?赤字は最新アルバムより。
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iPS細胞、チェ・ゲバラ、「虚構」と「現実」
Posted on 2月 8th, 2009 No comments書こうと思って溜めていたトピックを3つ取り上げます。
ひとつ目は、iPS細胞。
2007年にヒト線維芽細胞からのリプログラミング(初期化)が確立されて、2008年には、ALS(筋委縮性側索硬化症)患者からのiPS作成が報告されました。まさに、iPS細胞はこれから応用に向けて研究がはじめられているわけですが、このたび、薬の毒性試験にiPS細胞が利用されることになったとのことです。僕は、このまえ安田賢二教授の講演を聞いたのですが、安田教授のグループはナノ生体計測技術で世界トップレベルの実績を上げています。具体的には、心筋細胞が特殊加工されたプラスチックの回路で培養されて、ネットワークを作り、自発的に拍動を始めるのです。神経細胞のネットワーク作成も研究しているのだそうです。
ふたつ目は、チェ・ゲバラの2本立て映画の後編「39歳 別れの手紙」を見たこと。公開されたばかりなので内容には詳しく触れすぎないようにしたいのですが、「(今年)見るべき映画」に挙げられていただけのことはあったと思います。スティーブン・ソダーバーグ監督。べニチオ・デル・トロ主演。映画はじまったと思って見ていたら、ひたすらスペイン語だったので少々面喰ってしまいましたが。チェがボリビアに密入国して、ゲリラ部隊を構えて、傀儡政権を打倒するべく森の中に潜伏するというストーリーです。チェ・ゲバラ役のベニチオ・デル・トロの真に迫る演技が良かったです。僕は、チェ・ゲバラに関しては、Tシャツの図柄で使われていることと、カストロ議長と関係があることくらいしか知らなかったのですが、映画を見ていて、どうやら医者らしいこと、とても賢くて人情深い人物だということ、パイプを燻らせるのが好みらしいこと、行動によって理想を実現しようとしていることが伝わってきました。映画は「ゲバラ日記」に基づいて作られているらしく、DAY ○○○という感じで進められていきました。ゲバラ日記については、松岡正剛氏の千夜千冊で詳しく解説されています。少々長かったですが、面白かったのでぜひご覧ください。
みっつ目は、「虚構」は「現実」である。ラカン派(ただし精神分析は治療に用いていない)で、引きこもり、オタク、アニメ、サブカルに詳しく、『文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ
』の著書がある精神科医、斎藤環氏のWEB連載について。僕は、けっこう前から斎藤環氏のファンで、難解すぎることで有名なラカンをしっかり解読していてすごいなあと尊敬しているとともに、現代美術(海外ではヘンリー・ダーガー)への造詣も深く、それでいて漫画に対する情熱も強くて、この人はいったい何者なんだろうと思ってフォローしているわけです。昔から精神科医という職業にけっこう憧れていたこともあり、でも脳科学も面白いからと目移りしているのですが、斎藤氏のような精神科医は他にはいないでしょう。WEB連載面白いのでこちらもご覧ください。
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立ち返ってくるところ
Posted on 2月 2nd, 2009 No comments何かを考えたり、思い悩んだりするとき、何回も立ち返ってこられるところがあると楽である。僕の場合、その役割を果たしてくれているのは、『ゲーテ格言集』であり、『人生論ノート (新潮文庫)
』である。『人生論ノート』の三木清は前に引用したことがある。三木清は、ハイデッガーに師事したことのある哲学者・社会評論家・文学者で、『善の研究』の西田幾多郎とも関わりが深い。『人生論ノート』は、死について/幸福について/懐疑について/人間の条件について/孤独について/等々の短い章ごとに分かれて書かれたメモのようなもので(アフォリズムという)、いつでも気軽に読み返すことができる。三木清はおそらくものすごい量と質の文献を読んでいるのに違いないが、『人生論ノート』に書かれた言葉の数々は驚くくらいシンプルだ。三木清の言葉を支えているのは、彼自身の直観なのだと思う。これは、生まれもった才能といっていいくらいだ。
つい一日前に読んだ箇所は、「感傷について」。これを読んでみると、感傷(もの思いとほぼ同義)のもつ甘美さとともに、その潜在的な危険性について知ることができる。
すべての趣味と同じように、感傷は本質的にはただ過去のものの上にのみ働くのである。それは出来つつあるものに対してでなく出来上ったものに対して働くのである。すべて過ぎ去ったものは感傷的に美しい。感傷的な人間は回顧することを好む。人は未来について感傷することができぬ。少くとも感傷の対象であるような未来は真の未来ではない。
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感傷は主観主義である。青年が感傷的であるのはこの時代が主観的な時期であるためである。主観主義者とは、どれほど概念的或いは論理的に装おうとも、内実は感傷家でしかないことが多い。
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行動的な人間は感傷的でない。思想家は行動人としての如く思索しなければならぬ。勤勉が思想家の徳であるというのは、彼が感傷的になる誘惑の多いためである。
(『人生論ノート』、三木清)<行動人としての思想家>というフレーズにとても感銘を受けた。ただ論理的に振る舞っていても、仕方ない。非常にストレートにメッセージが伝わってきた。感傷的になっていても、それは創造を伴わないということ。
三木清の文献は、青春文庫で読むことができる。本として容易に手に入りそうなものには、『語られざる哲学』や『哲学入門』があるみたいだ。
Act As A Thinker.

