7 月 26

First day of my life

今日から夏休みに入りました。

It Must Be Summer - Fountains Of Wayne


Fountains Of Wayne Lyrics
It Must Be Summer Lyrics

高校・大学時代の友人たちが働き始めているなかで、こんなのんきなことを言っている場合ではないかもしれませんが、僕たちが小さかったころから、夏休みスイカ花火海水浴家族旅行夏祭り麦藁帽子!という言葉は、僕たちをとてもワクワクさせてくれる(最近使われる記述方式では、wktk)ものでした。

そもそもどうして、「夏休み」なんていう長期の休業期間があるのでしょうか。この国を含め、東アジアでは、「盆休み」の拡張したものと解釈すればよいのかもしれませんが、欧米でも、7月から9月頃まで、かなり長く休みをとっているところがあります。真夏日や猛暑日が一週間以上続く、気候がほぼ(亜)熱帯化したこの国では、国民の頭脳が暑さに負けて、正常に機能しにくくなるからかもしれませんね。

それでも、自分が高校3年生だったころは、毎日毎日6時間以上(ちょっと強気)、受験勉強に明け暮れたものです。こんなことをして何のためになるのか?なんて、自問自答をする余裕はあまりなかったと記憶しています。いま思えば、もっと思い切った行動をとっても良かったかな(たとえばアーティスト志望とか海外留学とか海外修行とか)と思ったりもします。

ちなみに、僕がこれまでに経験した、最も苦しかった思い出は、高校1年のときの、男子バスケットボール部の夏合宿です。“シャトルラン”という練習があるのですが、信じられないくらい、体育館の床の上を行ったり来たりして走り込んで、汗がものすごく出て、はげしい筋肉痛が出ました。当時は、これが無限に繰り返されるんじゃないかというほどでした。それはほとんど脅迫感に近いもので、練習が終わるたびに、「こんなにきついのが続くんだったら、もう部活をやめよう」と思っていました。結局、3年の6月に引退するまで執念で部活を続けたわけですが、最悪状態のピークは、合宿終了後に発症した、原因不明の肺炎でした。高熱が出て、1週間くらい部活の練習を休みました。しかも胸部CTをとってもらって見せてもらったところ、僕の心臓が異常に大きくなっていて(スポーツ心臓とよばれる)、ちょっとこれはまずいのでは、と自分でも思いました。これが僕が今までに経験したワースト記録です。そのときの部活の顧問のN先生は、いわゆる非常勤の先生で、大学院を出たばかりの新米の先生でした。N先生はすごく厳しい一方、とても思いやりがあるというか、若いだけあって生徒との距離が近く、部員からの信頼は絶大なものがありました。N先生は、僕たちが2年に上がる前に、ほかの高校に正式に教員として移ることになり、短い間ではありましたが、素晴らしい学校の先生として、僕の記憶の中に残っています。

というわけで、長々と思い出バナシを書いてしまったわけですが、念を押してもう一度言います。

僕たちの夏休みはまだ、はじまったばかりだ、と。

いろいろ計画を立てた/立て始めているわけですが、なにも印象に残らない夏休みにしてしまわないよう、そして、収拾がつかないくらい発散しすぎる夏休みにならないよう、重々気をつけたいと思います。

First Day Of My Life - Bright Eyes


- Bright Eyes Lyrics

6 月 07

「ほぼ日」10周年

とうとう、10周年を迎えることができました。
1998年の6月6日から数えて、10年が経ったわけです。
いや、なにもしなくても10年は経ったのですけどね。

吉本隆明さんの
「どんなことでも、
 毎日10年やり続けられたら、
 一丁前になれる」
ということばを、いちばん信じていたのは、
ぼくたちだったのかもしれません。
『ほぼ日10周年を迎えてのごあいさつ』

「ほぼ日刊イトイ新聞」が2008年6月6日で十周年を迎えました。

Only is not lonly. +LOVE

すごいですね。

僕は、けっこう昔(といっても5-6年前)から
このサイトのことを知っていて、
月に2‐3回の頻度で見に来ていました。

「ほぼ日」を知らない人に「ほぼ日」を説明するならば、

「『ほぼ日』っていうのは、メディアミックスのはしりで、1,400,000 PV/Dayのモンスターサイトの一つだよ。」

と言えばいいでしょう。
実際、「ほぼ日」のサイトで公開された記事を元に、
「言いまつがい」「オトナ語の謎。」という書籍や
「ほぼ日手帳」が出版されていたり、
ロゴ入りTシャツがネットを通して販売されていたりします。
しかしながら、「ほぼ日」愛読者からは、

「いや、『ほぼ日』はそんなんじゃないよ。」

という声が聞こえてきそうです。
それでは、愛読者に親和性がある説明に言い換えるとしましょう。

「『ほぼ日』っていうのは、糸井重里=ダーリンの周りに集まってきた(ワタシを含めた)いろいろな人たちが、世の中にある、へんなことやおかしなことや不思議なことについて、何でもいいから語りあうための仮想的な共同体(国、都市、または家族)のことなんじゃないかな。」

これでどうでしょう?OKかな?

僕が好きな「ほぼ日」コンテンツは、
坊さん。57番札所24歳住職7転8起の日々。」です。

仏教の世界も、IT化とかいろいろ、大変みたいです。

それにしても、こんなサイトを作ってしまった、
糸井重里という人は、いったい何者なのでしょうね。

サイト運営に携わっている株式会社東京糸井重里事務所にしても
謎だらけな感じです。

糸井重里という人物についてわかっていることといえば、

・群馬県前橋市出身のコピーライターでタレント
・法政大学文学部に入学して、学生運動に参加して、一年半で退学した人
・1980年ころ、「ヘンタイよい子新聞」を制作した人
・西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」(1983)を考えた人
・「MOTHER」というシリーズのゲームを制作した人
・日本モノポリー協会会長
・映画「となりのトトロ」(1988)の「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」というコピーを考えた人
・映画「魔女の宅急便」(1989)の「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」というコピーを考えた人
・吉本隆明氏やタモリやみうらじゅんとの親交が深い人

ということです。一言でまとめられません。
タレントとしての活動は、「文化・知識層」枠としての
「世界ふしぎ発見!」出演などが挙げられます。

糸井氏のキャッチコピー作りの才能には、
他に並ぶ者がいないのではないでしょうか。
そもそもの、コピーライターという職業は、
ほぼ、糸井重里さんのためにあると思います。

糸井重里についてもう少し語るならば、
父性=paternalism」がキーワードになってくると思います。

「今日のダーリン」という、毎日更新されるコラムのようなもので、
糸井重里さんは、日常のことをつれづれ綴っているわけですが、
いつも話題になるのは、
〇〇をやっているみたいだよ、とか、
〇〇というものが面白いよ、とか、
〇〇という人が〇〇ということを言っていたよ、とかで、
糸井さん本人が考えていたり、積極的に、
〇〇は△△でなければならない、
という主張が聞こえてくることがありません。

なんというか、糸井氏が学生時代にかかわった学生運動が
明にしても、暗にしても、影響しているのだろうと想像されるわけです。

要するに、「ほぼ日」という<場>をつくるだけつくって、
あとはやりたい人がやりたいように任せる、という糸井氏の姿勢に
止め処ない父性が感じられるわけです。

例えるならば、100人の人が同時に背中をもたれかからせても、
糸井氏はヘッチャラな感じで立っていることでしょう。

とにかく、ブレがない。
主張するところがみえにくいということもあるのでしょうが。

吉本隆明氏にもそういうところがありますね。
両者に共通しているのは、気取らない、「市井の賢人」という点でしょうか。

僕が「ほぼ日」を知ったのは、高校2年のころでした。

高校1年のとき、神経科学者=大脳生理学者の池谷裕二氏の
「記憶力を強くする」(講談社ブルーバックス)を読んで、
そのわかりやすい説明と、科学者としての理念に非常に感銘を受けて、
海馬。」を知り、それが「ほぼ日刊イトイ新聞」の
連載企画からスタートしたという経緯を知って、
「ほぼ日」にたどり着きます。

続編の「海馬。脳を困らせる旅に出る?」も、
知的にすごく面白いので読んでみてください。

僕が大学に入り、東大駒場の全学ゼミ、「立花ゼミ」に入ると、
予想外の事実を知ることになります。

それは、1次立花ゼミ(「二十歳のころ」を制作)に所属していた、
木村俊介という人物が糸井重里事務所で働いていて、
「ほぼ日」の「海馬。」を中心的に企画・運営していたということです。

なんていう偶然!
まさにセレンディピティなセレナーデ(?)

諺の「類は友を呼ぶ」ではありませんが、
「理解ある」人は「理解ある」人のもとへと
向かっていくのだなあと思いました。
 
※今回は、「ほぼ日」記法でお届けしました。

さてさて、このブログは、あと何年続くのかなあ?

5 月 31

音楽遍歴 - レディオヘッドを中心に

2008年5月28日、Radiohead初のベストアルバム”THE BEST OF”が日本先行発売されました!!収録されているのは、RadioheadがParlophoneと契約していたころのアルバム6枚から選曲されています。”Pablo Honey”に”the bends”に”OK COMPUTER”に”KID A”に”AMNESIAC”に”HAIL TO THE THIEF”!!本当に信じられません。発売されたのは、30曲入ったCD2枚組版と、17曲入ったCD1枚版と、DVD版です。DVDには、21曲分のPVが入っています。CD2枚組のうちの2枚目に、”Talk Show Host”と”True Love Waits”というアルバム未収録曲が入っているので、購入するしかありません。DVDも初回盤には特典が付いているそうです。アルバムのアートワークは、”OK COMPUTER”に入っていたリーフレットに描かれた絵が採用されています。よくよくみると、これまでの6枚のアートワークが繊維状に細くなって、左から右へと古い順に並んでいるのがわかります。詳しい情報は、こちらのサイトへ。

思えば、はじめてRadioheadを知ったのは、2001年の冬でした。そのとき僕は中学三年生で、高校の入試が控えていました。いまだにそれを覚えているのは、お年玉で買った初めての中古アルバムが、”OK COMPUTER”だったからです。僕の生涯のうち、通算で3枚目に購入したアルバムでした。1枚目と2枚目は、比較的時期が重なっていて、2000年の11月頃に買ったように記憶しています。ちなみに、記念すべき1枚目は、The Beatlesの”ONE”で、2枚目は、OFFSPRINGの”AMERICANA”でした。当時はメロコア・パンクが絶頂期を迎えていましたから。

僕が洋楽を聴き始めたころは、中学2年生から中学3年生にかけてでした。中学校の帰り道、島田図書館2FのCDコーナー(懐かしい!)によって、The Beatlesとか、QUEENとか、Aerosmithとか、MR. BIGとか、Bon Joviとか、「いかにも洋楽な」CDを借りて、家に持ち帰って、CDラジカセで聴いて、カセットテープに録音して、コレクションをつくっていました。MAXとかNOWというオムニバスCDもよく聴きました。

「いかにも洋楽な」CDを聴いていた期間が1年近くあり、さすがに飽きてきたころ、たまたま借りたRed Hot Chili Peppersの”Californication”にひどく感動し、最近の洋楽に興味をもちました。2000年11月に先ほど申しあげたThe Beatlesの”One”が発売されたので、藤枝駅前南口のCDショップ(新品&中古)で、そのCDを買いました。そのときに視聴したのが、OFFSPRINGの”CONSPIRASY OF ONE”でした。こうして、学校の帰り道に高頻度でCDショップに寄るという生活環がなりたっていったわけです。1960-1970年代のロック・バンドから聴き始めて、1990年代後半のメロコア・パンクに興味をもつ、というのは、僕と同世代の洋楽ファンなら、誰もが通過するコースなのではないでしょうか。

僕が”OK COMPUTER”を手にしたのは2001年の1月だったので、すでに4枚目のアルバム”KID A”は発売済みだったわけです。僕が高校1年生になり、2001年5月に5枚目の”Amnesiac”が発売されると、まずそれを先に購入して、そのあとで”KID A”を購入しました。5000円/月の小遣いのやりくりが大変だったので、”the bends”と”Pablo Honey”は中古の棚に赴いては、置いてあるかどうか探したものです。高校生のころは、片道1時間かけて学校に通ったもので、三年間、家から藤枝駅までの自転車15分、藤枝駅から清水駅までの電車35分、清水駅から高校までの自転車10分のコースを往ったり来たりしていました。電車に乗っているときは、吊革につかまったり、座席に座ったりして、MDプレイヤーに録音した音楽を聴いて、Z会の速読英単語を読んでいました。県下でも有数の進学校でしたから。僕が電車で聴いていた音楽の再生回数第一位が”OK COMPUTER”なのは間違いありません。”AIRBAG”のあのイントロを何度聞いたことでしょう。

In the next world war
In a jackknifed juggernaut
I am born again

In the neon sign
Scrolling up and down
I am born again

In an interstellar burst
I am back to save the universe

In a deep deep sleep of the innocent
I am born again

In a fast german car
I'm amazed that I survived
An airbag saved my life

In an interstellar burst
I am back to save the universe

In an interstellar burst
I am back to save the universe

(various moaning)
[AIRBAG - RADIOHEAD]

といっても、当時は、歌詞なんて覚えずになんとなく英語に聞こえるところだけ聴きとっていたわけですが。”OK CONPUTER”の5曲目と6曲目、”LET DOWN”と”KARMA POLICE”を聴いて、「なんて素晴らしいんだろう!」と素直に思っていたあのころ。”KID A”に関しては、何を言っているかさえわからず、意味不明でした。僕が高校三年生だった、2003年6月には、”Hail to the Thief”が発売されました。受験シーズンにさしかかっていたときのことなので、忙しさであまり記憶に残っていませんが、一つの嬉しい出来事でした。それから、僕は東京で生活するようになり、4年待って、2007年10月の”In Rainbows”のダウンロード配信がありました。その間、洋楽、とくにオルタナティブロックやテクノミュージックに特化していろいろな音楽を聴いてきたわけですが、持ち歩くmp3プレイヤーには、やっぱり、Radioheadが定番で入っていました。Radioheadは、妙にインテリっぽくて、考えていることや、やっていることが他のアーティストと一線を画しているんですよね。だから、これまで7年間あまり付き添ってきたわけです。「レディオヘッド愛」みたいな感じ。

ありがとう、レディオヘッド。ありがとう、トム・ヨーク。

この機会に、いままでRadioheadを知らなかった人も、どうか、Radioheadを好きになってくださいね!!

5 月 11

自殺について

硫化水素(H2S)による自殺件数が急増している。

  • 硫化水素自殺続発で硫黄商品を販売自粛 - 5月10日16時12分配信 産経新聞
  • 「ストップ!硫化水素自殺」=未遂経験者がイベント-ネットで配信・東京 - 5月10日5時31分配信 時事通信
  • 硫化水素発生方法 ネットで56件削除 - 5月9日8時2分配信 産経新聞

くわえて、女子中高生が殺傷されたり、学校でのいじめがメディアで報道されている。これまで、このような報道があると、僕は「ああ」と嘆息した。だが、近頃、事件がメディアで報道されると、どういうわけか(おそらくネットの情報源を介して、なにかが波及するのだろう)、同じような内容の事件が頻発する(僕はテレビは全くといって見ていないので、どのように報道されているかは知らない)。その顕著な例が、今回の硫化水素自殺だろう。これほど急増してしまうと、「ああ」とか「ええっ、また!?」とか「信じられない」とか言えなくなる。無言「……」。僕は、こういうセンシティブな話題について言及することはあまりしたくない。これまで避けてきた。それでも、伝えたいことがある。なので、それを文章にする。

NPO法人、自殺対策支援センター「ライフリンク」の代表、清水康之氏は、ブログで硫化水素自殺について以下のように記している。

確かに自殺の巻き沿いを食わされたらたまったもんじゃない。私もそう思う。
でも報道によると、亡くなったほとんどの人たちが「張り紙」をしていたらしいではないか。

「硫化水素発生中 入らないで下さい」
「毒ガス発生中 すぐに通報して下さい」
「危険 硫化水素発生中 絶対に開けないでください」など

社会に対するルサンチマンがあって不思議ではないのに、人生最後の言葉が「他者への警鐘」だなんて。なんという律儀さかと、あまりにも切なくなってくる。

また、QLife SQUAREというサイトは、硫化水素では楽に死ねないと警告する。

硫化水素は呼吸系に作用し細胞が呼吸できなくする。つまり直接死に至る原因は「窒息死」である。呼吸しようとして肺は動くのに息が出来ない状況を想像すれば、それがどれくらい苦しいか、想像できるだろう。市販の洗剤を混ぜて発生する程度のガスで、首尾よく短時間で即死するくらいの高濃度のガスが発生するとは限らない、数時間はもだえ苦しむ事を覚悟しなければならない。

たしかに、浴室のドアに張り紙を書いて注意を喚起することは、未来の遺体発見者を気遣ってのことだと思うが、自殺をこれからしようとする人間が、自分以外のことを考える余裕を持っているかは疑問だ。硫化水素中毒による自殺のどこが問題かというと、ネットで広まっている「楽に死ねる」という虚偽の情報と、「高濃度のH2Sガス」が周囲に拡散することによる一種の迷惑行為(公害、あるいはテロといっていいかもしれない)の二つだと思われる。Suicide-bomberとさほど変わらない。張り紙はだから、威嚇行為に相当するのではないか。

ところで、「どうして人を殺してはいけないの?」「なぜ自殺はよくないの?」という問いがある。「大切な人が殺されたり、親しい人が自殺したら、きみは悲しいだろう?だから、いけないんだよ。」と教えるとする。でも、これでは回答としては少々脆い。なぜなら、自分が相手を殺す立場、もしくは自分が死ぬ立場を想定してはないからだ。つまり、自分が人を殺したくなったり、自殺したくなったりしたとして、それでも、「どうしてだめなのか?」を説明しなくてはならない。事態はそこまで切迫している。しかも、自殺したくなる願望の背景には、鬱病などの精神疾患や薬物による中毒、すなわち、(語弊はあるが)狂気が介在していることが多い。つまり、論理による説得が通用しない。どうしても自殺してほしくなかったら、物理的に身動きをできなくしたうえ、四六時中監視するしかあるまい。「どうしてだめなのか?」そんなことは、僕にも分らない。

人生に意味なんてないさ。――そんな事はニーチェが19世紀のとっくの昔に云っている。でも、だからといって、「意味のない人生」を自分の手によって中断してしまってよいのか。

かりに、「死にたくなるとき」があったとして、つねに「死にたい死にたい死にたい」と思っているかというと、実はそうでもないかもしれない。そのときのムード=モードによって、人間の行動基盤は刻一刻と変化する。気分を変えてあげることで、相手を深刻に悩ませないようにする。自殺させないための努力。『波状言論S改』での、宮台真司と東浩紀の対談で、宮台真司はこのように語っています。人間はそんなにヤワではないのだから、言葉によるアドバイスではなく、気分を変えさせるように行動する。なかなか良い方法ではないかと思う。

さて、「どうして自殺はだめなのか?」について。僕の考え。日本語の「生きる」は自動詞であり、「生きている」は、状態動詞です。つまり、僕たちは、自動的に「生きる」のです。「生きる」上での支えはもちろん必要で、「生かされる」というのもある意味では事実です。でも、僕たちの生命は誕生以来、オートマチックで居続けました。ですから、「みんな、生きているのが、不思議なくらい当たり前だよね。」というのが回答、でいいのかな?

とにかく、天寿を全うするまで生きる。死ぬその時まで。ひとまず、Story Of The Yearの”Until the day I die”をお聴きになさったら?

5 月 02

上野で再会

僕には、歳が一つ離れた妹と、四つ離れた弟がいる。生年月日で言うと、妹とは実質的に1年と7ヵ月、弟とは4年と3か月離れている。4年前から、僕は東京で生活している。3年前から、妹は甲府にいて、弟は今年東京(多摩川を越えたあたり)にでてきた。いちおう、みんな大学生。先週日曜、妹が用事で上野まで来たので、会って昼食を食べ、それから、弟も来て、アメ横で買い物などした。きょうだいがそろって会うのは、ことしの正月以来。でも、きょうだい三人で出かけたのは、いつ以来だろう?ひょっとしたら、これまで一度もなかったんじゃないかな。僕も妹も弟も、中学・高校と、運動部に入っていてそれなりに忙しかったし、受験勉強で自分の周囲に対して、何も気にかけることなく費やした期間もあった。一緒に生活していても、食事の時間帯や「おやすみ。」を言う時間にずれがあった。むかしは、ケンカや口喧嘩をよくしたけれど、それでも、きょうだいの仲はだいぶ良好。妹は姉か妹がほしかったというけれど、自分としては、兄か姉をほしいと感じたことはあまりない。末っ子の弟は、どうなんだろう。3年前の4月から今年の3月までの3年間、僕と妹は実家にいなかったわけで、高校生の弟は一人っ子同然できっと、何とかやっていたのだろう。東京に出てきたてのオシャレ好きの弟は、さっそく下北沢に繰り出して、気がついてみれば、都会の風格を漂わせる。甲府で教育学とくにスポーツ・体育を、まさに身をもって(!)勉強している人によく好かれる妹は、去年、インターンでオーストラリアに行ったと思ったら、今度は女子サッカー部の部長になった。来月には母校での教育実習が控えている。

ここで自分を振り返る。「これだ。」という物事にむかって、濃密に取り組んでも、それはごくわずかな時間で、つぎの瞬間には人が変わったように、惰性ですごしてしまう自分。人と話していて、言いたいことがあまり言いだせない・気の利いた言葉がかけられない・人を惹きつける表現がでてこない自分。これからは、自分のやりたいことばかりではなくて、相手が何をしたいのか、というのも含めて考えて、自分のやりたいことを追求したいと思う。

午前中曇っていた上野の空は、妹と再会する時間には晴れ、日差しは目を焦がすくらいに眩しかった。あたらしく建ったヨドバシカメラ上野店の8Fに設置されているガチャガチャをみんなでやったし、モスバーガーで身の回りのこととこれからのことを話しあった。午後7時の高速バスで妹が甲府に戻るため、上野から新宿まで移動した。新宿についたころには、日が沈んでいたけれど、気温は17℃で寒くはなかった。きょうだいそれぞれ全く違う方面にすすむことになりそうだ。僕たちが何歳になっても変わらずに、きょうだいでありたいと思った。

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4 月 19

earworm もしくは 頭の中の音楽

頭の中の音楽

先日、大学の講義室で、ふと、頭の中で音楽が流れた。スピーカーなどの機器からではなく、空耳でもない、いわゆる脳内再生というやつだ。流れたのはこの曲。

Ordinary World

その曲は、Duran Duranの”Ordinary World”(1993)だった。

はじめ曲が頭の中で流れて→あー、この曲6,7年前に洋楽HIT集で聴いたことがあるな、と思い→たしか、”Ordinary World”という曲名だったな。というところまで思い出した。それから、Googleで曲名を検索したら、Duran Duranの曲だということがわかった。Duran Duranは、1978年にデビューした、イギリス・バーミンガム出身のバンド。現在も活動中というのがすごくて、昨年はLive Earthにも出演している。いかにも80年代ロックという感じで、ゆったりしている。以下は歌詞の一部。


But I won’t cry for yesterday
There’s an ordinary world
Somehow I have to find
And as I try to make my way
To the ordinary world
I will learn to survive

こちらは、デビューシングルの”Planet Earth”。いま聞くと、すごく新鮮で率直な印象だ。

earworm

ところで、日本語で脳内再生と俗に言われている現象に、しっかりした名前はないのかと疑問に思った。ふたたびGoogleで検索したところ、”earworm”と呼ばれるらしいことを知った。earwormはドイツ語のOhrwurmを訳したものらしい。

2003年に、University of CinCinnatiのJames Kellarisの研究グループが、earwormに関する研究を報告している。

心理学や認知神経科学で扱える対象の範囲が、かなり広がってきたように思う。

4 月 05

DEEN

DEENが聴きたくなったのはなぜか。

僕は普段、自主的に日本語の歌を聴くことは滅多にないのだが(ラジオは別として)、ふと衝動的にDEENやWANDSの歌が聴きたくなった。この気持ちは、いったい、ドコから込みあげてきたのだろう?

両バンドが最も華々しかった時期はちょうど僕が小学校高学年から中学校のはじめにかけての期間に相当する。アニメソングなどで、頻繁に耳にしていた両バンドの曲が聴きたいということはつまり、その曲を手がかりに当時の思い出を手繰りたいという心の奥底の願望があるからなのではないか。

曲をダウンロードした。

DEENが聴きたくなってしょうがなくなったので、某P2Pソフト(Win**ではない)を利用して、楽曲をダウンロードした。ダウンロードは順調に行き、何の困難もなく聴くことができた。久し振りに聴いても、やっぱり良い曲だ。

僕はDEENで検索してダウンロード登録したのだが、ダウンロードフォルダに”Rang Deeni”というファイルが入っているのを見つけた。おそらく間違えて登録したのだろう。せっかくなので削除する前に聞いてみようと思い、試しに聞いてみたら、タイトルからは想像がつかない、ノリの良いインド風の音楽が流れてきた。YouTubeで調べると、曲に合わせて踊るものだということを知った。どうしてこんなことを知ることになったのかと不思議に思った。
 
ここまできたら、もう、なんでもありだ。

ぼくたちの少年時代。

ところで、僕がDEEN、WANDS、それからZARDに対して、00年代になった今も惹かれ続けているのはどうしてなのだろうか。さきほども触れたが、これらのアーティストが、テレビアニメと”タイアップ”して曲を制作していた影響が大きい(”タイアップ”は死語だろうか)。その代表となるテレビアニメが「ドラゴンボール」と「スラムダンク」だと思う。

アニメのオープニングとエンディングで毎回、特定の曲を反復して聴いた記憶が直接、少年時代の記憶と結びついている。反復=強化学習がばっちり完成していて、すこし気味が悪いくらいだ。少年ジャンプがなかったら、ぼくたちの少年時代もなかったのかもしれない。

ということで、まとめは「夢であるように」。