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USB
Posted on 7月 5th, 2009 No commentsおとといシネマライズで見た映画「USB」(奥秀太郎監督、渡辺一志主演)(注:性的暴力的過激表現が含まれています)。
以前、「カインの末裔(PPV-DVD)
」をたまたま通りがかった映画館で見て、そのカルトっぽくて陰惨な世界観に相当な衝撃を受けたことがあり、今回の「USB」も見に行ってみたのだった。「カインの末裔」では、川崎市の重工業地帯が舞台になっていたが、「USB」はつくば市の近く(東海村近辺を想定)の放射能処理施設からの放射線で汚染された地区が舞台だった。出口がない世界。
渡辺一志という俳優(映画監督もしている)の存在感がすごく生きていて、低い声でぼそぼそしゃべる感じや、ぼうぼうにひげが生えた風貌が異彩を放っている。キャストには、主人公祐一郎の母に桃井かおり。やくざの親分に大杉漣。祐一郎の悪友?峯田和伸(銀杏BOYZ)。病に伏した映画監督に野田秀樹。放射線科の医師に大森南朋(「ハゲタカ」の人)。かなり豪華。銀杏BOYZというバンドの名前は聞いたことがあったけど、峯田和伸が映画に出ていて、演技がすごく上手なことは知らなかった。今度銀杏BOYZのCD聞いてみようと思った。
奥監督(1975年生まれ)は、いわゆるゼロ年代の作家の一人。映画上映の後にティーチ・インがあったのだけれど、暴力映画をとるようなイメージとはほど遠く、普通にいる感じのお兄さんだったので、おどろいた。渡辺一志(1976年生まれ)も出てきて、映画で見たよりは服装はさすがにしっかりしていたけど、やっぱり普通な感じだった。こういう人たちが、こんな異質な映画をつくってしまうのだなあと思った。
主人公祐一郎は、最近死んだ父親が医者だったこともあり、26歳で医学部受験を目指すこととなり、予備校に通っているのだけれど、やくざとか覚せい剤とか危ない世界にもつながりをもっていて、友人に紹介された高額報酬の放射線被曝の臨床試験に申し込むことになり…。というあらすじ。タイトルのUSBには、USBメモリと“Under Sakura Blossom”の意味。
主人公祐一郎が銃を撃つシーン。
パァン。
やくざの親分が訪ねる。「どこを狙った?」
祐一郎がこたえる。「左大腿骨」
パァン。
ふたたびやくざの親分が訪ねる。「今度はどこだ?」
祐一郎がこたえる「左靱帯」(なんか変な気がした)
というのが面白かった。ティーチ・インを聴いたあとなので、映画そのものの感想でないことを了承しておくが、奥監督が言うには、「青春の殺人者」(長谷川和彦監督、1976年公開)の真逆をやりたかったのだそうだ。「青春の殺人者」では、両親殺しがテーマで、実際に起きた事件が題材になっているそうで、中上健次の短編「蛇淫」が原作だそうだが、「USB」と異なっているのは、暴力が向かう先だ。
細部の表現にもこだわりが見えて、予備校の生物の授業では植物の「帯化現象」がとりあげられている。帯化(fasciation)は、僕はいままで知らなかったのだけれど、本来点であるはずの生長点が線状になって、花や茎が帯状に増殖したことをいうそうだ。そのイメージを放射能汚染で頭が二つできたイルカとかのイメージとつなげたかったみたいだ。いろんなところからネタを引っ張ってきていてすごい。
映像では、最初のホルモン焼きのアップと最後の雪桜が印象的だった。インディーズで作成されているのだが、低予算ながら映像の質が高いと思う。聴覚的には、放射線情報を伝える広報の間延びした声と、放射線が出ていることを伝える「ブゥン」という音、そしてDUBっぽい音楽。奥監督の映画(まだ2本しか見ていないけど)にはなぜかいつも頭重感や不快感を誘う重低音が流れている気がする。最初からバッドエンディングが透視できる。
「悲惨な映画をまた見に来てください」と監督が言っていたので、また見に行きたい。「壊音(KAI-ON)」も今度見ようと思う。
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精神
Posted on 7月 1st, 2009 No comments想田和弘監督の観察映画第二弾「精神」をみてきた。
シアターイメージフォーラムにて。映像はハンディ・カムっぽい。
最初のシーン。
中年の女の人の背中を追うカメラ。
入っていくのは診療所らしき建物。
画面左にその女性。画面右に老齢の医師(ドクター・山本)。
診察が始まる。
女性話しだす。
生きていくのがつらい、という。
<彼ら>が去っていった。
自分が<彼ら>から離れていったことは
これまで何回かあったけど、
<彼ら>から去っていったのは初めて。
すごくつらい。
女性泣きだす。
ドクター・山本うなずく。
診療終わり。
感謝しつつ部屋を後にする女性。このシーンを見て、どう反応してよいか迷った。
この映画がこのような妄想でいっぱいで
映画を観終わるころには
統合失調症患者の妄想の世界に引きずり込まれたらどうしようか
と不安になった。でも、想田監督の観察映画が表現しているのは、
<狂気>の常軌を逸した様ではなく、
患者一人一人の言葉を通しての<精神病>という
目に見えぬ対象への接近だった。「精神」には、実名の施設「こらーる岡山」と医師とスタッフ、
そして患者の方々(映ってもOKな人だけ)が登場している。精神科というものは、<健常者=healthy people>であれば、
絶対近寄らない、もしくは一度立ち寄ったことが知られるだけで
がらりと周囲からの視線が変わる場所なのかも知れない。しかし、これは「こらーる岡山」の特殊性に違いないが、
病気になったら仕方ないじゃないか、
ごろごろ横になってもいいからのんびりと治そうじゃないか、
という「のほほん」とした感じに終始包まれているように思えた。医師と患者というのは、単なる関係性でしかなく、
医師が白衣を着ていなければ
(実際「こらーる岡山」では誰も白衣を着ていない)、
だれが病気なのかわからないと思えた。以前、フリージャーナリストの野村進が書いたノンフィクション
「救急精神病棟 (講談社プラスアルファ文庫)」を読んだことがあった。
それを読んだ印象では、人格もろもろの<崩壊>が迫っていて、
患者は意味不明の言葉をしゃべりたてるし、強制的に保護するほかない、
というような人道的処置とは言い難い場面も出てきたけれど
(同時にそれは野村進氏の筆致の巧みさともいえる)、
「精神」では、十年単位で病気と闘っている患者が多く、
それは急性期/長期療養の違いでもあるのだろうが
まったく異なった印象をもった。「こんなに薬飲まないとなんですよ」とか
「生活保護うけてて薬代がタダだったのが一割負担になって大変です」とか
「両親がいなくなったら自分で料理作らないといけない」とか
「障害者手帳申請しようかと思ってるんですが」という発言があった。
病気との闘いというのは、ある意味生き方そのものなのかもしれないと感じた。精神疾患について語りたいことは多くあるけど、
この映画は、患者その人をありのままに撮っている
という点でおおいに成功していると思う。カメラの前の統合失調症患者の人間くささ、
それは不器用さとか要領のわるさとも言えるかもしれないけれど
そのようなものがリアルな臨場感をもって伝わった。リアルな妄想、リアルな幻聴、リアルな自殺企図は、
病気になってみないかぎり100%分かり合えることはないだろう。
しかし、妄想のリアルさ、病気が辛くて辛いという現実が
映像として伝わった。診察のとき、ドクター・山本が紙切れに
何気なく書いて患者に手渡す概念図のようなものが気になった。
そのなかのひとつは、人生が円環構造をとっているのかラダー状なのか
あなたはどちらですか?というものだった。
ドクター・山本が発言する場面は、
想田監督の意向で極力少なくしたようだが、
ドクター・山本の人としての厚みが垣間見られた。
ああいうものをさっと書けるようになりたいと思った。病との闘いが宗教性を伴ったものになることがある。
想田監督は大学で宗教をやっていたそうなのだが、
ところどころ、仏陀とかマザー・テレサのモチーフがあらわれた。
「癒し」が重要視されるようになったのはだいぶ前だけど、
宗教観のようなものをどれほど前面に出せばよいのか戸惑う。
後半に登場した詩人・菅野さんの言葉や雰囲気や
笑い方がとくに印象に残った。
菅野さんは病気と闘いつつ、<答え>を見つけていると思った。ナレーションやキャプション、モザイクがないのもよく、
「この人はこういう病気だから幻聴が聞こえるのだ」みたいに
無理に納得を促すことをしていない。日本は、精神疾患そのものに対する偏見があるし、
精神科医療が引きずってきた陰鬱とした歴史もある。
こういう映画をたくさんの人に見てもらって
いろいろ考えてもらうことも大事だと思う。映画の後に想田監督が出てきて質疑応答。
さわやかな感じの方だった。 -
さくら
Posted on 4月 4th, 2009 No commentsもう4月ですね。
私は3月末は実家に帰ってゆっくりしていました。
といっても、完全に休んでいたのではなくて、
ちょっと復習などもしていました。ウォッチメンを観る
実家の最寄駅(といっても歩いて30分はかかる)のJR東海本線の駅近くに新しく複合商業施設がオープンしたので、そこに行き、最上階のシネマコンプレックスで上映していた「ウォッチメン」を観ました。
「ウォッチメン」は、評判通り「300」をとった監督の最新作とあって、格闘シーンはとても見ものでした。しかしながら、ストーリー的に「?」と感じる個所がいくつかありました。アメコミが原作なのですが、「スパイダーマン」や「Xメン」のMARVELとは違い、「スーパーマン」や「バットマン」のDCシリーズは、ヒーローでも苦悩するというか、「ヒーロー」という存在自体を疑う作品が多いような気がします。
時代背景的には、第2次大戦期の1940年代からベトナム戦争をとおって冷戦期の1985年が舞台ということになっています。「ヒーロー行為」が規制されるようになったあと、かつてのヒーローたちが互いに懊悩する様が描かれています。
私としては、評価は☆☆☆☆★でしたが、一緒に観た母と妹は、過激で残虐な描写が多かったせいか、「・・・・」という印象でした。
その夜に映画を観る
その日の夜遅く、TVで「亀は意外と速く泳ぐ」が放送されていたので、観ました。キャストは上野樹里と蒼井優ほか。懐かしい感じの海辺の町が舞台の、いわゆる「おちなし」型の映画でした。フィルムが焼きついた感じというか、フレームの端がぶれている感じがしましたが、どういう技法を使っているのか気になりました。
電車内で本を読む
行きと帰りの電車で、カフカ『審判』の第1章と、川上弘美『溺レる』の短編いくつかと、坂口安吾の『風博士』と『風と光と二十歳の私と』と『堕落論』を読みました。日本文学って底が厚いですね。とくに初期は。
新しいカメラレンズを試す
帰省する前にamazonで購入して宅配で受け取ったレンズに交換して、カメラをもっていったのですが、予想していたよりもはるかに表現の幅が広がったというか、F値1.8で撮影した写真の「それっぽさ(=写真雑誌で見るような)」をつかむことができたように思います。
そのうえ、祖父や祖母がとてもよい(笑)被写体になってくれたおかげで、撮影方法をたくさん試すことができました。なかなかの作品がとれた気がするので、フォトコンテストに応募してみるのもいいなと思っています。下は、桜のトンネルができる瀬戸川の河原沿いで撮った写真です。
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iPS細胞、チェ・ゲバラ、「虚構」と「現実」
Posted on 2月 8th, 2009 No comments書こうと思って溜めていたトピックを3つ取り上げます。
ひとつ目は、iPS細胞。
2007年にヒト線維芽細胞からのリプログラミング(初期化)が確立されて、2008年には、ALS(筋委縮性側索硬化症)患者からのiPS作成が報告されました。まさに、iPS細胞はこれから応用に向けて研究がはじめられているわけですが、このたび、薬の毒性試験にiPS細胞が利用されることになったとのことです。僕は、このまえ安田賢二教授の講演を聞いたのですが、安田教授のグループはナノ生体計測技術で世界トップレベルの実績を上げています。具体的には、心筋細胞が特殊加工されたプラスチックの回路で培養されて、ネットワークを作り、自発的に拍動を始めるのです。神経細胞のネットワーク作成も研究しているのだそうです。
ふたつ目は、チェ・ゲバラの2本立て映画の後編「39歳 別れの手紙」を見たこと。公開されたばかりなので内容には詳しく触れすぎないようにしたいのですが、「(今年)見るべき映画」に挙げられていただけのことはあったと思います。スティーブン・ソダーバーグ監督。べニチオ・デル・トロ主演。映画はじまったと思って見ていたら、ひたすらスペイン語だったので少々面喰ってしまいましたが。チェがボリビアに密入国して、ゲリラ部隊を構えて、傀儡政権を打倒するべく森の中に潜伏するというストーリーです。チェ・ゲバラ役のベニチオ・デル・トロの真に迫る演技が良かったです。僕は、チェ・ゲバラに関しては、Tシャツの図柄で使われていることと、カストロ議長と関係があることくらいしか知らなかったのですが、映画を見ていて、どうやら医者らしいこと、とても賢くて人情深い人物だということ、パイプを燻らせるのが好みらしいこと、行動によって理想を実現しようとしていることが伝わってきました。映画は「ゲバラ日記」に基づいて作られているらしく、DAY ○○○という感じで進められていきました。ゲバラ日記については、松岡正剛氏の千夜千冊で詳しく解説されています。少々長かったですが、面白かったのでぜひご覧ください。
みっつ目は、「虚構」は「現実」である。ラカン派(ただし精神分析は治療に用いていない)で、引きこもり、オタク、アニメ、サブカルに詳しく、『文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ
』の著書がある精神科医、斎藤環氏のWEB連載について。僕は、けっこう前から斎藤環氏のファンで、難解すぎることで有名なラカンをしっかり解読していてすごいなあと尊敬しているとともに、現代美術(海外ではヘンリー・ダーガー)への造詣も深く、それでいて漫画に対する情熱も強くて、この人はいったい何者なんだろうと思ってフォローしているわけです。昔から精神科医という職業にけっこう憧れていたこともあり、でも脳科学も面白いからと目移りしているのですが、斎藤氏のような精神科医は他にはいないでしょう。WEB連載面白いのでこちらもご覧ください。
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ACROSS THE UNIVERSE
Posted on 8月 20th, 2008 No comments17日の24時に南紀旅行から帰ってきました。
レポートはmixiのほうに書いたので、いずれ引用しようと思っています。
それにしても、のんびりいい旅行が出来ました。東京に帰ってから、とても映画が見たくなり、有楽町シネカノンで、「アクロス・ザ・ユニバース」を見てきました。有楽町のビックカメラの8階にある映画館で、最初の回を一人で見てきました。若干ネタばれを含みます。
Official Site : Across The Universe
映画は、1960-1970年代のNYの若者たちの生活をミュージカル仕立てに描いたもので、主人公は、イギリスのリバプール出身のJUDEと、プリンストンに行っていたMAXと、その妹のLUCYとその仲間たち。映画の中には、The Beatlesの曲がちりばめられていて、登場人物や街中の見知らぬ人物が突如として歌いだします。JUDEとLUCYがいかにも名曲”Hey, Jude”と”Lucy In The Sky With The Diamonds”を髣髴させますが、やはり期待を裏切りませんでした。
The Beatlesの曲を一通り知っていないと、なかなか理解できない部分があり、厳しいのではないかと思いました。僕自身は、中二以来、The Beatlesをたしなんでいるので、とても楽しめました。The Beatlesの曲の一つ一つが、当時の米国の情勢を振り返ることで、みずみずしく甦った印象を受けました。声はThe Beatlesのオリジナルを使用していないところがまたとてもよく、心が揺さぶられました。ストーリー自体は、けっこうありがちだったのですが、どのシーンでどの曲が出てくるのか、ビートルズファンとしては、とても楽しみでした。カウンターカルチャーや、サイケデリックな演出も良かったです。それと、JUDEのリバプール訛りとアーティスティクな絵画群。
僕が一番印象に残った場面は、簡単に説明すると、タイトルでもある”Across The Universe”と”Helter Skelter”の応酬のシーン。「宇宙を超越する」ことの描写が、Judeが地下鉄で移動しているシーンでした。けっこう、うーん、と考えさせられました。自分はじっと座席に座っているのに、車両は確実にレールを滑って前に向かっていく。これが、”Across The Universe”なんだなー、と。地下鉄に乗って都会の下に潜っている時っていうのは、ひょっとしたら、身近なのに不思議な体験なのかもしれません。”Nothing’s gonna change my world”のフレーズがすーっと心に滲みてきました。
登場人物で一番気に入ったのは、MAX。けっこう悲惨な役で、プリンストン大学を中退してNYへ行ったものの、徴兵されて、ベトナムに出兵することになります。その後は触れないでおくとして、ちょっとNirvanaのカート・コバーンみたいな風貌で、これも演出かなと思いました。
The Beatles好きは必見の映画です。ついでに、カウンターカルチャーに強く惹かれている人にも。あの世界観と色遣いはちょっと、、という人にはよくないかもしれません(笑)。すごく気に入ってしまって、オリジナルサウンドトラックと、もしかしたらDVDも買うと思います。


