7 月 11

おくやみ

「太陽ニュートリノに質量がある」という、ノーベル賞級の発見をした、素粒子物理学者の戸塚洋二氏が、昨日亡くなりました。享年66歳。死因はがんによる多臓器不全。戸塚氏は静岡県富士市出身です。同じ県出身の僕は、高校2年の春、つまり2003年3月15日、高校の同窓会の企画した講演会で、戸塚氏の講演を聴きました。日時を正確に記銘しているのは、講演終了後、戸塚氏に色紙にサインをもらいに行って、日時も記入してもらっていたから。そして、それを上京するときに持ってきていたから。いわゆる願掛けというものです。講演では、電子ニュートリノやμニュートリノやτニュートリノなど、科学雑誌”Newton”で読んだことはあっても、得体のしれない、聴きなれない用語がたくさん登場して、中学生のころから自称・科学マニアだった僕は、たいへん感激したことを覚えています。その前年の2002年は、戸塚氏の研究プロジェクトのボスだった、小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞しています。戸塚氏や小柴氏がニュートリノ研究を行っていた、岐阜県にある、神岡鉱山地下の「スーパーカミオカンデ(KAMIOKANDEとは、Kamioka+NDEの意)」から、ノーベル賞が再び出るとすれば、間違いなく戸塚氏に贈られるであろうということは、関係者ならずとも周知の事実でした。実際、ノーベル賞受賞者が予測される場では、戸塚氏の名前が頻繁に出てきました。

戸塚氏が現場を意外なほどに早く退き、東大からも職を離れたのは、病気の療養のためだったと思われます。貴重な素粒子物理学のパイオニアを66歳という年齢で失うことは、日本のアカデミアにとっては、大きすぎる痛手です。もっとはやく、戸塚氏にノーベル賞を受賞してもらいたかったと、正直に思います。

ご冥福をお祈りします。

6 月 19

同性愛、人肉食、死刑執行

California Gay Marriage: What It Means for You and Me Legally - gaywired.com

“As of 5:01 on Monday June 16, 2008 marriage will be available equally to all adult couples irrespective of sexual orientation,” says Pizer, who also advises policymakers in Sacramento and nationwide on laws to protect domestic partners and co-drafted AB 205, California’s comprehensive Domestic Partner Rights and Responsibilities Act of 2003.

“[Today] We will see the first marriages performed in California for gay and lesbian couples with the full backing and endorsement and official civil blessing of the state. Those marriages will be as legal and valid and important under California law as any other marriages and there’s no residency requirement,” Pizer says.

(from gaywired.com)

アメリカ合衆国カリフォルニア州で、同性結婚が合法化されました。合衆国各地から、同性愛カップルたちが、カリフォルニア州に、文字通り、駆け込んでいるそうです。ゲイは、いまや喫煙者よりも市民権を獲得したといっても過言ではないでしょう。社会的抑圧はまだまだ消えないでしょうが、彼ら彼女らは、どこか生き生きと見えます。

“Gay Genes” May Be Good for Women

ScienceNOWでは、ゲイ(男性の同性愛者)の遺伝子に関する研究が紹介されています。「ゲイは(部分的な)遺伝的素因である」ということが、20年近く前から言われているそうですが、いまだに、どの遺伝子が原因で、ゲイになるのか、ということはよくわかっていません。男性の同性愛者は、残す子孫の数が普通の男性(=ノンケ)よりも圧倒的に少なく、進化的にみて不利なはずなのに、どうして人口の中で一定の数を占めるているのでしょう。不思議ですね。この疑問(Gay Paradox)を解決する、あたらしい仮説が唱えられました。それは、「男性がゲイの遺伝子をもっていると、同性愛者になるように働く一方、女性が同じ遺伝子をもっていると、子孫をたくさん作りやすい」というものです。なるほど(!)という感じです。この研究を報告したのは、イタリアの遺伝学者。イタリア人は情熱的。イタリアはカトリックだから、同性愛は教義に背いていると考えている人が多いのでしょうか。とうてい、日本では、こういう研究をやってみようとは思いもしないでしょう。

論文は以下のリンクから見ることができます。
Sexually Antagonistic Selection in Human Male Homosexuality

宗教的社会的タブーには、かつての男色、同性愛、死、近親相姦、殺人、強姦など、肉体としての人に関する事項がたくさんあるように見えます。その一つに、人肉食=Cannibalismがあります。カニバリズムというと、まず思いつくのは、人食いハンニバルのハンニバル・レクター博士。トマス・ハリスが生み出したキャラクターです。それ以外にも、フィクションの題材として、カニバリズムがよくつかわれています。たとえば、舞城王太郎の『山ん中の獅見朋成雄』。読んだことはありませんが、大岡昇平の『野火』。江戸川乱歩の『闇に蠢く』。夢野久作の『人間腸詰』。ノンフィクションでは、辺見庸の『もの食う人びと ミンダナオ島の悲劇』。図書館で借りた『世界の名著 モンテーニュ』にも、「人食い人種について(エセー・第Ⅰ巻・第31章)」というタイトルの文章がありました。

実際に起きた事件では、1988年から1989年にかけて発生した、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。通称M事件。1985年生まれの僕自身が<幼児>のころに起きた事件なので、まったく記憶はありません。その事件の犯人であるMの死刑執行が、2008年6月17日に行われました。今回の死刑執行が、2008年6月8日の秋葉原無差別殺人事件のために早まったのではないか、という憶測があるようです。そうなのかもしれません。Mが小児愛者=pedophiliaだったのかどうかはよくわかりませんが、社会認識として「オタク犯罪者」だといわれているのは確かです。なんというか、「オタク⇔犯罪者の素質が十分にある」という観念が確立しきってしまったようです。現代日本において、オタク、アキバ、アニメ、美少女ゲー、エロゲーなどというフレーズは明らかにタブーになってしまっています。

オタクにとっては、本当、生きにくい時代です。

6 月 18

太陽系外惑星を3つまとめて発見!


Three-of-a-kind planets found

Survey for ’super-Earths’ finds worlds like ours may be common.

nature newsより。地球から42光年離れた、HD 40307という、太陽に似た恒星の軌道をまわっている、惑星が3つ見つかりました。その3つは、地球の質量のちょうど4倍から9倍の質量をもっていて、3つのうちのあるものは、恒星を1周するのにわずか4日しかかかりません。つまり、これらの惑星は、僕たちの想像が及ばないくらいのスピードで、公転を続けているのです。

このような惑星は、”super-Earth”(超‐地球)?とよばれていて、天文学者たちには、なじみのある惑星なのだそう。”super-Earth”に生き物がいるとしたら、どういう形態と生態を有しているのでしょう。地球上の生物と比べて、まったく異なっているのでしょうか、それとも、案外、似ているのでしょうか。

太陽系外惑星に関しては、このブログで「太陽系外惑星を発見!」という話題をとりあげています。今後もフォローしていきたい、一大トピックです。

直接の関係はありませんが、Extra Planet、あるいはExtrasolar Planetと、英語の形容詞の”explanatory”が、何となく似た語感をもっているような気がしました。explanatoryは、「説明のための、注釈的な、解説の、説明的な」という意味をもっている言葉で、”explanatory note”は、「注釈、凡例」を意味します。僕という個人が、日常を過ごしながら、「自分自身に注釈をつける」という感覚に、けっこう、あっているなあと思ったりしました。ちなみに、”self-explanatory”は、「見ればすぐわかる、一目瞭然の、読んで字の通りの」という意味。人と人とのコミュニケーションにおいても、”self-explanatory”の要素があればいいのになあ。

6 月 14

エリスとプルートー

2008年6月11日、ノルウェーのオスロで開かれた国際天文学連合(IAU)執行委員会で、冥王星とエリスに、冥王星型天体(Plutoid)という名前が与えられました。惑星の定義を巡る問題としましては、2006年8月24日に、チェコのプラハで開催された国際天文学連合総会で、冥王星が「惑星」から除外され、準惑星(dwarf planet)という新たなグループに入ることになった、というニュースが記憶に新しいと思います。どうして、冥王星の「惑星」としての地位が揺らいでしまったのかというと、1990年代以降、(冥王星よりも内側の)海王星の外側の軌道を運行する天体(太陽系外天体、TNO)がたくさんみつかってきたためです。カロン(冥王星の衛星)、クワオアー、セドナ、そしてエリス。エリスは冥王星よりも大きな天体です。エリスこそが、この論争の最大の火種です。2003年10月21日に撮影された写真に映っているのを、2005年1月8日にマイケル・ブラウン氏らが発見し、同年7月29日に発表されました。エリスの由来は、トロイア戦争の遠因となったギリシア神話の不和と争いの女神。神話でエリスが引き起こした争いを、エリスが天文学にもたらした惑星の定義をめぐる論争に喩えています。エリスには和名がありませんが、中文名があります。それは、鬩神星(げきしんせい)。「鬩」は「せめぎ合う」の意。オシャレな名前だと思います。

冥王星型天体

冥王星が最初に発見されたのは、1930年のことでした。冥王星は、月を含めた、太陽系惑星の衛星よりも小さく、軌道が黄道面よりも大きく傾いていて、変則的です。もともと、海王星よりも内側の惑星たちと比べて、かなりの変り者でした。Wikipediaによれば、冥王星を発見したクライド・トンボーがアメリカ人であったことから、冥王星は1930年の発見以降長い間、アメリカ人が発見した唯一の惑星とされ、アメリカ人の誇りとされてきたそうです。ディズニーのキャラクター「プルート」は、冥王星が発見された年に誕生しており、冥王星(プルート)から名前が取られているみたいです。

冥王星の由来は、ギリシャ神話に出てくる、冥府(死者の国)の神、ハデス。僕は一時期、ギリシャ神話に凝っていたことがあり、ハデスが、ゼウスとデメテルの子であるペルセポネを、妃として迎え、地下にある冥府に連れていくエピソードに興味をもったことがあります。かわいそうなペルセポネは、冥府の食べ物であるザクロを食べてしまい、冥府から出られなくなってしまいます。ペルセポネの母、豊穣の神デメテルは、娘が連れ去られてしまったことを嘆き悲しみます。豊穣の神が悲しんだせいで大地は退廃してしまいました。全知全能の神ゼウスは、このままではいけないと考えた末、ペルセポネに、一年の三分の一をハデスのいる冥府で、残り三分の二をデメテルのいる地上で過ごすように命じます。二重生活。ハデスは不服ながらこれを受け入れました。こうして、ペルセポネがいる期間は、デメテルは喜び、大地に恵みが与えられ(春)、ペルセポネがいない期間は、悲しみで大地が荒れるようになりました(冬)。これが、四季の始まりなんですね。

天文学の話題には、いつも、ギリシャ神話の世界や西洋占星術のことが、衛星のようについて回るのが面白いですね。神話それ自体でも十分面白いのですが、それが星として、「観測可能」だというのがいいです。古代人はえらいです。ちなみに、東洋にも、星座というのがあったそうですが、文化としてなくなってしまったのだそうです。

そうそう、このブログのタイトル、EXTRA PLANETには、<冥王星>の意味もあったりするんです。というか、もともとは、冥王星が「余剰の/余りモノの」惑星となってしまったことが、僕の頭の中にかなり長い間残っていて、EXTRA PLANETというタイトルとして結実し、こうして顕在化した、と考えるのが、深層心理学的(?)にはふさわしいのでしょう。それにしても冥王星は、冥府の王よろしく、生きているのか死んでいるのか、わかりませんね。LIVING DEAD=生ける屍。

extraですが、今後とも、御贔屓ありますよう(落語調)。

6 月 10

個人と社会

insane

もっと、みんな、自分を尊重して、かつ、相手を大切に思うことが必要なんじゃないか。都会に人はあふれるほどいるけれど、たくさん人がいるからって、その名前を知らない人々のことを、無神経に不当に扱ったりするのはよくない。人間なんだから、感覚器官と、運動器官と、大脳皮質の、よりよい使い方を目指さなくては。脊髄反射に頼っていてはいけない。いいはずがない。ゲーテを引いてみる。

愚か者と賢い人は同様に害がない。半分愚かな者と半分賢い者とだけが、最も危険である。
(「親和力」第二部第五章から)

ひそかに清く自己を保持せよ。
自分の周りは荒れるにまかせよ。
君が人間であることをより多く感じれば感じるほど、
君は神々により多く似てくる。
(「温順なクセーニエン」第四集から)

必ずしも、絶対的なものではなくていいけれど、<何か>を信仰する心を身につけたいですね。
今日は、手短に。

Radiohead - I Am Citizen Insane

ついでに。

Royksopp - Remind me

The Faint - Agenda Suicide

6 月 09

P906i

僕がしょっちゅう出かけている、愛すべき秋葉原で、あのような通り魔事件が起きてしまうとは、とても残念です。6月で天気が曇りがちで、ただでさえ気分が沈み気味というのに、不意に大きな打撃を後頭部にくらってしまった気がします。おとといの土曜日も、ヨドバシakibaで携帯電話の機種変更をしてきたばかりだというのに。本当に信じられません。信じられなさ過ぎて、今日の昼休み、自転車でビューっと、例の交差点を見に行ってしまったくらいです。それは本当に起きてしまったらしく、テレビ局の中継車や警察の方々が大勢来ていて、また、たくさんの花が供えられていました。路面にもチョークで線が引かれていました。

昨日の僕は、一日前に買ったばかりの携帯電話をいろいろ触っていて、ワンセグテレビをさっそく視聴していました。やっと、テレビがない生活(4年と2カ月くらい)に終止符が打たれました。これからは、テレビとうまくやっていきたいと思います。ダビング10が解禁になったら、地デジチューナーを買って、PCに取り付けて、大画面で視聴できるので、楽しみです。

昨日は、夕方まで部屋にいて、本を読んだり、文献をネットで検索したりしていて、午後7時ころ、食材を買いに近所のコープ東京に行きました。つまり、秋葉原には行っていませんでした。現場を見に行きたくて、ちょっとうずうずしていましたが、さすがに野次馬はよくないと思い、行きませんでした。大人の選択。自宅から、ほんの3-4km行ったところが、事件現場になるなんて、思いもよらなかったです。救急車が17台も出動するなんて、普通ではありえないことです。日本医科大学では、災害救助隊まで出動したとか。

ここからは、携帯のレビューです。写真と一緒にお届けします。今回、僕が新しく購入したのは、Panasonic製のP906iのホワイトで、2008年6月1日に発売されたばかりのニューモデルです。まずは、Logicoolのワイヤレス・マウスと大きさを比較します。

P906i_4

液晶(TFT)が3.1インチになり、従来の携帯電話よりも、細長いフォルムになりました。幅×高さ×厚さは、50㍉×108㍉×17.4㍉で、薄いほうです。むろん、もっと薄いものもありますが、薄いからいいというわけではありません。ズボンのポケットにスッと収まる薄さです。縦方向にパカッと開けるのが、ノーマルモードです。ワンプッシュボタンを押すと、素早くオープンすることができます。マニュアルには、「ワンプッシュボタンを押した反動で、端末を手から落とさないように」と注意書きがありました。でも、端末そのものが軽くなったので、それほどの衝撃は感じません。

P906i_3

次は背面から。プライベートウインドウが付いています。時計が表示されていて、電話・メールの有無を知らせてくれます。色は単色です。有機EL。

P906i_1

最大のセールスポイント、ヨコオープンモード。P905iのときと、デザイン自体は変わっていないそうですが、とても良いデザインだと思います。商品開発の方々は、きっと、ワンセグテレビをワイド画面で見やすくするために、いろいろ試行錯誤したことでしょう。敬服します。メニューも横画面になるので、使い勝手がいいです。ちなみに、ワンセグのアンテナは内蔵です。

P906i_2

最後に、acerの22W液晶ディスプレイと一緒に撮影。P906iは小さいけれど、頼りになります。P906iのマニュアルが500ページを超えていて、驚きました。この、多機能すぎる文明の利器を使いこなすためには、第一に、マニュアルを読みこなすことから始めなくてはなりません。Bluetoothや、フルブラウザや、ミュージックプレイヤーや、モバイルGoogleマップなど、盛りだくさんです。着もじや、Feel*Mailなどの機能は、地味ですが、個人的に「いいなぁ」と思いました。料金コースは、905iシリーズから変更になったそうで、僕は、バリューコースのSSにしてもらいました。加えて、家族への電話が無料になりました。docomoもまだまだ負けてません。

6 月 07

「ほぼ日」10周年

とうとう、10周年を迎えることができました。
1998年の6月6日から数えて、10年が経ったわけです。
いや、なにもしなくても10年は経ったのですけどね。

吉本隆明さんの
「どんなことでも、
 毎日10年やり続けられたら、
 一丁前になれる」
ということばを、いちばん信じていたのは、
ぼくたちだったのかもしれません。
『ほぼ日10周年を迎えてのごあいさつ』

「ほぼ日刊イトイ新聞」が2008年6月6日で十周年を迎えました。

Only is not lonly. +LOVE

すごいですね。

僕は、けっこう昔(といっても5-6年前)から
このサイトのことを知っていて、
月に2‐3回の頻度で見に来ていました。

「ほぼ日」を知らない人に「ほぼ日」を説明するならば、

「『ほぼ日』っていうのは、メディアミックスのはしりで、1,400,000 PV/Dayのモンスターサイトの一つだよ。」

と言えばいいでしょう。
実際、「ほぼ日」のサイトで公開された記事を元に、
「言いまつがい」「オトナ語の謎。」という書籍や
「ほぼ日手帳」が出版されていたり、
ロゴ入りTシャツがネットを通して販売されていたりします。
しかしながら、「ほぼ日」愛読者からは、

「いや、『ほぼ日』はそんなんじゃないよ。」

という声が聞こえてきそうです。
それでは、愛読者に親和性がある説明に言い換えるとしましょう。

「『ほぼ日』っていうのは、糸井重里=ダーリンの周りに集まってきた(ワタシを含めた)いろいろな人たちが、世の中にある、へんなことやおかしなことや不思議なことについて、何でもいいから語りあうための仮想的な共同体(国、都市、または家族)のことなんじゃないかな。」

これでどうでしょう?OKかな?

僕が好きな「ほぼ日」コンテンツは、
坊さん。57番札所24歳住職7転8起の日々。」です。

仏教の世界も、IT化とかいろいろ、大変みたいです。

それにしても、こんなサイトを作ってしまった、
糸井重里という人は、いったい何者なのでしょうね。

サイト運営に携わっている株式会社東京糸井重里事務所にしても
謎だらけな感じです。

糸井重里という人物についてわかっていることといえば、

・群馬県前橋市出身のコピーライターでタレント
・法政大学文学部に入学して、学生運動に参加して、一年半で退学した人
・1980年ころ、「ヘンタイよい子新聞」を制作した人
・西武百貨店のキャッチコピー「おいしい生活」(1983)を考えた人
・「MOTHER」というシリーズのゲームを制作した人
・日本モノポリー協会会長
・映画「となりのトトロ」(1988)の「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」というコピーを考えた人
・映画「魔女の宅急便」(1989)の「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」というコピーを考えた人
・吉本隆明氏やタモリやみうらじゅんとの親交が深い人

ということです。一言でまとめられません。
タレントとしての活動は、「文化・知識層」枠としての
「世界ふしぎ発見!」出演などが挙げられます。

糸井氏のキャッチコピー作りの才能には、
他に並ぶ者がいないのではないでしょうか。
そもそもの、コピーライターという職業は、
ほぼ、糸井重里さんのためにあると思います。

糸井重里についてもう少し語るならば、
父性=paternalism」がキーワードになってくると思います。

「今日のダーリン」という、毎日更新されるコラムのようなもので、
糸井重里さんは、日常のことをつれづれ綴っているわけですが、
いつも話題になるのは、
〇〇をやっているみたいだよ、とか、
〇〇というものが面白いよ、とか、
〇〇という人が〇〇ということを言っていたよ、とかで、
糸井さん本人が考えていたり、積極的に、
〇〇は△△でなければならない、
という主張が聞こえてくることがありません。

なんというか、糸井氏が学生時代にかかわった学生運動が
明にしても、暗にしても、影響しているのだろうと想像されるわけです。

要するに、「ほぼ日」という<場>をつくるだけつくって、
あとはやりたい人がやりたいように任せる、という糸井氏の姿勢に
止め処ない父性が感じられるわけです。

例えるならば、100人の人が同時に背中をもたれかからせても、
糸井氏はヘッチャラな感じで立っていることでしょう。

とにかく、ブレがない。
主張するところがみえにくいということもあるのでしょうが。

吉本隆明氏にもそういうところがありますね。
両者に共通しているのは、気取らない、「市井の賢人」という点でしょうか。

僕が「ほぼ日」を知ったのは、高校2年のころでした。

高校1年のとき、神経科学者=大脳生理学者の池谷裕二氏の
「記憶力を強くする」(講談社ブルーバックス)を読んで、
そのわかりやすい説明と、科学者としての理念に非常に感銘を受けて、
海馬。」を知り、それが「ほぼ日刊イトイ新聞」の
連載企画からスタートしたという経緯を知って、
「ほぼ日」にたどり着きます。

続編の「海馬。脳を困らせる旅に出る?」も、
知的にすごく面白いので読んでみてください。

僕が大学に入り、東大駒場の全学ゼミ、「立花ゼミ」に入ると、
予想外の事実を知ることになります。

それは、1次立花ゼミ(「二十歳のころ」を制作)に所属していた、
木村俊介という人物が糸井重里事務所で働いていて、
「ほぼ日」の「海馬。」を中心的に企画・運営していたということです。

なんていう偶然!
まさにセレンディピティなセレナーデ(?)

諺の「類は友を呼ぶ」ではありませんが、
「理解ある」人は「理解ある」人のもとへと
向かっていくのだなあと思いました。
 
※今回は、「ほぼ日」記法でお届けしました。

さてさて、このブログは、あと何年続くのかなあ?

6 月 06

2016年のオリンピック・ゲーム

BBCニュースより。

Chicago, Madrid, Tokyo and Rio de Janeiro are the cities shortlisted by the International Olympic Committee to host the 2016 Olympic Games.

2016年に開催されるオリンピックの開催予定地が4つに絞られました。まだ、Tokyoが残っているみたいですが、一番人気はChicagoなのだそう。Madridは2012年のオリンピック開催候補で、London、Parisに次いで3番目でした。二度目の挑戦はどうなるか。Rio de Janeiroが仮に開催地に決定すると、南アメリカで初めてオリンピックが開催されることになります。1964年に一度開催されたということしか、主張すべきポイントがないTokyoに勝ち目はあるのでしょうか。アメリカ大統領選もそうですが、自分に選挙権がない選挙は、単なる競馬レースとして傍観する楽しみがあります。好きな候補を応援していさえすればよいのです。

 

IOCによる選考結果の発表は、2009年10月2日!!
ガンバレ、トーキョー!!

6 月 04

携帯電話

今日は、6月4日。むしの日。日本歯科医師会は「むし」歯を記念して、虫歯予防デーにしているそうです。最近、モスバーガーとか、いろいろなお店の前に立てかけてある黒板のようなものに、「今日は〇〇の日」と書かれているのをよく見かけるようになりました。いいことです。

アップルのiPhoneがソフトバンクモバイルから2008年中に国内発売されることになりましたね。僕はアップルとか、デザインがおしゃれで、みんな持っていそうなものはあまり関心をもたないほうなのですが、気になるのはたしかです。iPhoneの魅力を3つあげるとしたら、何なのでしょうか。

NTT docomoの906iシリーズが6月1日から順次発売されています。僕がいま所持しているのは、SH901iSのネイビーです。そろそろ、機種変更をしようと考えていたので、ドコモショップで資料をもらって、商品ごとの性能を比較したりしています。無線LANとBluetoothが搭載されているのがありがたいです。microSDでデータを自由にやり取りできるようになったり、これまでありそうでなかった機能が付加されています。どの機種にしたかは、追って報告したいと思います。

Lisa Loebの”STAY”を最近聴いてみたのでリンク。

5 月 28

悩むことの健全さ

姜尚中氏は、在日韓国・朝鮮人二世で、東京大学大学院情報学環教授の政治学者。東大教授の中でも、きわめて特異な立場にいる姜尚中氏が、集英社新書から「悩む力」という本を出した。氏にしては珍しい「生き方本」だ。ビジネス本のタイトルではやりの「コミュニケーション力」「段取り力」「問題解決能力」「地頭力」等々にあやかってのネーミングかと一目見て思うが、注意しなければならない。おそらくそれとは正反対の計らいと考えるべきだろう。「悩む力」は、「ナヤムリョク」と読ませるのではなく、何もひねらず「ナヤムチカラ」と読むことが期待されているのだろう。類書と似ているようで、まったく違う。機知に富んだ皮肉が漂う。

僕は、姜尚中氏の講義を実際に受けたことがあるし、テレビ番組で拝見したこともある。姜尚中氏を知っている者ならだれでも、知性あふれる外見のスマートさと、スタイルの良さと、服のセンスの良さには溜め息を漏らすものだ。しかし、僕が注目するのは、氏の「声」だ。すべてを引き受けた人間が発する「声」。その声はかぼそく、慎重であるようでいて、奥底にある決意を聴衆に感じさせる。ファンが増えるのも無理はない。情熱=passionと冷静=coolが互いを主張しあうことなく一人の人間の内に共存している。僕は、姜尚中氏の話を聞いて、デューラーの描いた絵の素晴らしさを知ったし、ハンナ・アーレントの「人間の条件」に興味をもったし、エドワード・サイードの生涯に惹かれたのだった。姜尚中氏は、サイードを語るとき、いつも、サイードと自分との位置関係を確認しているようだ。先人と自分との距離を確かめることで、今の自分の方向性を調整する。そんな姿勢が見受けられる。

――最近は悩むことそのものが格好悪いという空気があるような気がしますね。

 みなさん、悩むことを不幸の種と考えているようだけど、これは不健全なことです。インターネットを見ても、「なぜあの人がああで私がこうなのか」「悩みのない人はむかつく、許せない」など、そういう情念の海が広がっています。でもね、僕は不健全だと思う。

 実はね、悩むことも喜び。そのことに気づかないとね、ダメだと思うんですよ。やっぱり悩まないと、自分というものが分からないし、自分にとって大切なものも分からない。今のような悩むことを是としない風潮が、今の閉塞感を生み出しているんじゃないでしょうか。悩みをくぐり抜けないと、生きる力や思考力、創造的なアイデアは出てこない。それで、こういう本を書こうと思ったんですね。
(日経ビジネスオンラインの記事を引用)

「悩むことは、決してネガティブなことではない。」と姜尚中氏は語る。最近の風潮では何かと、下のようなフローが成り立ってしまっているようで厄介だ。

悩む ⇒ 凹む or 落ち込む ⇒ 引き籠る or 一人で塞ぎこむ ⇒ 絶望する ⇒ 再起不能に陥る

しかし、そんなことはない。たとえば、思春期の悩みがそうだ。男の子なら、声が低くなったり、親に反発したくなったりする。女の子なら、顔にニキビができてきたりして、悩む。でも、悩みを抱えながらもなんとかやっていけることに次第に気づく。

悩む

①いたみ苦しむ。病む。

②苦しむ。こまる。思いわずらう。

③とやかく非難する。

④(他の動詞の連用形について)…に難儀する。…しかねる。

(広辞苑第六版より)

そもそもの「悩む」の意味は、「苦しむ」に相当するということだ。それも、苦しみには「痛み」が伴う。

(姜) 悩み抜いて、突き抜けると、人間は必ず“横着”になれる。横着になった時、意外と死ぬなんてばからしい、もっとこんな生き方をしてみようか、という考え方になるんじゃないでしょうか。ここで言う横着とは、「悩み抜いて怖いものがなくなる」という状況と同じと考えてもらっても構いません。

(日経ビジネスオンラインの記事より)

必要なのは、悩み抜くこと。有益な情報をいくら提示されても、自分で答えを探すことができなければ仕方がない。つまり、「自分で答えを出す」その瞬間は、人を頼りにすることができない。悩み抜くことは、言い換えれば、孤独を偲ぶことと同じなのかもしれない。僕は、日経ビジネスオンラインの記事しか見ていないが、本書のほうも購入して読みたいと思う。

思い起こされるのは、有名なこのコトバ。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

(mens sana in corpore sano)(ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」から)身体が強健であってこそ精神も健全である。(広辞苑第六版より)

もしくは、英語では下の表現。

A sound mind in a sound body.