8 月 05

高速バス、叡山電車、ATR

おとといの朝から、きのうの夜まで、大阪‐京都‐奈良にいました。

東京駅八重洲口から高速バスに乗り、バスで一泊して、大阪駅桜橋口に朝8時過ぎに到着。それから、大阪環状線で天王寺に行き、地下鉄御堂筋線でなんばへ行き、御堂筋を歩いて、道頓堀と心斎橋と淀屋橋を歩き、大阪駅に戻って、JRで京都駅に行き、バスで出町柳に行き、叡山電車に乗って鞍馬に行き、鞍馬神社と貴船神社を見て、出町柳に戻って、百万遍から歩いて、京大院生の高校の同級生と会いました。それから、アパートに行き、また出かけて、下賀茂神社を見て、京都御所を歩いて、護王神社を見て、寺町という御土産街をみて、川床を見て、バスで高野に行って、ホテルの屋上のビアガーデンみたいなところで食事をして、けっこう飲んで、アパートに帰って泊めてもらいました。一日でかなりの距離を歩きました。写真もたくさん撮りました。

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そして、翌日は、同級生の家を出発して、京都駅に行き、立花ゼミの参加者と集合して、近鉄で新祝園に行って、そこからタクシーでATRという株式会社に行きました。ATRは、ロボットやメディア研究のレベルが非常に高い、全国でも有数の研究所ですが、場所がけいはんな学術研究都市という人里離れた場所だけに(関東では、つくば研究学園都市に相当)、あまり知られていません。それでも、京都からも大阪からも、一時間あれば電車でいける距離にあります。今回訪問したのは、ATRの中のCNSの組織の、脳科学とロボットをやっている研究者の先生たちで、fMRIやMEGを組み合わせることで、ヒトの脳の機能を観測したり、ヒトの脳を非侵襲的にロボットと「接続」したBMI技術を開発したり、というお話を聞いてきました。さいごに、CNS所長で、小脳の内部モデルの研究で有名な、計算論的神経科学のパイオニア、川人光男先生にインタビューさせてもらいました。どうして、脳の研究を始めたのか、ということから、BMI技術の社会的応用の話まで、広い範囲にわたって、お話を聞くことができて、とてもよかったです。それにしても、クールでスマートで、それでいて、パッションがあって、しかもオシャレという一流研究者が、世の中にはいるものだなーと思いました。

7 月 24

わたしとあなたをめぐって

暑さが最高潮に達していて、なんともうだつが上がらない(?)日々を送っています。

本を読もうと思っても、息を潜めてページをめくる作業をしていると、とたんに冷たいものが飲みたくなったり、頭がボーっとしてきたり、平静を保つのが難しい毎日です。読みたいものは次々出てくるのですが。

最近、特に僕が注目しているのは、海外の短編小説です。それも、南米のものとか、ロシアのもの。南米では、ボルヘスやガルシア=マルケスなど、すぐれた短編を多数残した作家がいます。ロシアでは、チェーホフ。人づてにチェーホフの良さをききました。暑いときこそ、短時間でさらっと読める、読後感もすっきりとした、短編小説がいいのではないでしょうか。

あいさつはさておき、今回の投稿のタイトルの「わたしとあなたをめぐって」。こんなタイトルを思いついて、ここに書き散らそうと思ったのは、『現代思想(青土社)』の特集、<ニューロエシックス>を目にしたからです。神経倫理=ニューロエシックスについては、ガザニガの「脳のなかの倫理―脳倫理学序説」や脳を活かす研究会をとおして、2年前くらいから耳にしていたのですが、脳神経科学がマスコミやゲーム業界から注目されるようになって、いよいよおもしろいことになってきそうな雰囲気を見せています。

「生命の設計図」であるDNAを解読することによって、生命そのものを制御できるのではないかと、一部の人間が想像したのは、いまから10年くらい前のことだったと記憶しています。生命倫理=Bioethicsいう分野が出現しました。現在議論されている神経倫理=Neuroethicsでは、「思考を読む機械」である脳波計やfMRIやNIRSをつかうことで、人間の思考・行動が支配できるのではないか、という想像が根源にあります。ここ何年かの間で急速に進歩しているのが、BMI(Brain Machine Interface)やBCI(Brain Computer Interface)とよばれる技術です。人や動物の神経系から発せられる電気信号をコンピュータに取り込んで、ロボットを動かしたり、いわば考えるだけで、マウスのカーソルを移動させたり、クリックしたりすることが可能になりました。工学と医学の融合領域で、まさにSF並の、さまざまな実験・応用が試みられようとしています。

『現代思想』の特集では、脳神経科学が行き着く先は、フーコーが説いた「生政治=Biopolitics」(政府が全国民の生を管理する)につながるのではないか、という考えをもった人がけっこういて、僕もかなり近い考えをもっています。どこに出てきたかは覚えていないのですが、Noopolitics(精神あるいは魂の政治)という妙な言葉を持ち出している人もいたりして、ふーんと思いました。

『現代思想』の記事で、ほかの執筆者とは明らかに異質な記事を投稿していたのが、Production I.G.で「攻殻機動隊S.A.C.」などの脚本を書いている、櫻井圭記さんの「複合する私たち 四人称の未来へ」です。きっとこうなんじゃないか、という櫻井さんの直観が、散りばめられている文章ですが、僕は理論武装100%の文章よりも、こういう文章のほうが100倍面白いと感じました。冒頭で櫻井さんの生い立ちが語られ、ロンドンで体験した英語の人称変化の不思議や、ブーバーの「我と汝」、アイヌ語に四人称があること、などなどが述べられています。文体がとても滑らかで読みやすいです。櫻井圭記さんは、以前僕が所属していた立花隆ゼミの、2006年の五月祭企画「INNOCENCEに見る近未来科学」で作家の瀬名秀明さんとの対談があり(オリジナルとコピーのはざまで─ゴーストが宿る場所─)、僕はそれを聞きに行きました。

さて、こうして長々と人称代名詞にまつわる思い出バナシをしているのには理由がある。脳神経科学の領域で昨今話題になっているBMI技術が近い将来にもたらすかもしれない「脳‐ネットワーク社会」においては、僕たちの意識の有り様は変容し、「四人称」とでも称すべき新たな感覚が生じるのではないか、と個人的に妄想するからである。(「複合する私たち」、櫻井圭記、『現代思想』)

「四人称」という、新たな人称が出現するというのは、一見タダの夢想にしかみえません。しかしながら、日々インターネットに接していて、毎日欠かさず書き込みをして、「痕跡」を残している人間にとっては、実は感覚としてもう「当たり前」のことなのかもしれません。現実世界とは違う、仮想世界での「つながっている」感覚は、インターネットが出現した10年前くらい、というかむしろ、ドコモのi-modeが普及したあたりから日常的なものになっていた気がします。twitterなんかを熱心にやっていると、すごくよくわかると思います。

ところで、櫻井さんは、脚本を担当した『攻殻機動隊S.A.C. TRILOGY-BOX (Blu-ray) (初回限定生産)』のタイトルのネーミングについて、こんな風に書いています。

個にして全、全にして個、という関係がどこまでも階層化されたホロニックなネットワーク構造の中で、新たに現れてきている主体(らしきもの)に、僕たちは何とかして新しい名前をつけたがっているのである。ネットから切り離され、個体として自立する「スタンド・アローン」な各人の形成する複合体「コンプレックス」とは、まさしく、一人称でありながら、同時に三人称でもありうる、四人称的な世界観のことに他ならない。
(同上)

四人称というのはつまり、グノーシス主義の言い換えなのでしょう。僕も一時期、この考えにけっこう関心があったことがありました。要するに、「あなたはわたし。わたしはあなた。全ては今ここに存在し、全てはわたしのなかにある。」ということ。自己と他者の境界がなくなることは、自己が崩壊するリスクがかなり高いわけです。

いま、ほぼ同時に読んでいるのが、橋本治の「いま私たちが考えるべきこと」。いま私たちが考えるべきことは、じつは私たち自身のことだ、というのがこの本の主題なのですが、冒頭の「はじめに」で興味深いことが述べられいます。

自分の外にはすごく大きな「人の集団」があって、そこでは、「私たち」という一体感のある言葉が、あたりまえに使われています。
(中略)
何かは共有出来ているし、時々は深い意見の一致もあるけれど、「一人称複数の一体感」はあまりない―かえって逆に、その一体感をわたしは避けようとしています。それは、「一人称複数の一体感」がない方が、個人的で自由にしていられるような気がするからです。
(中略)
私一人と外側との関係は、「全体vs.個」で「全体vs.孤」ですが、たまさかに「ボクたち」だったり「オレたち」だったりする友人たちと、その外側との関係もまた、「全体vs.個=孤」です。
(「いま私たちが考えるべきこと」、橋本治)

非常に接点がある、クロスリンクしたこの二つ文章を読んで、ああ、僕の考えていたようなことはこんなことだったのかな、と思いました。たまたま図書館で借りた橋本治さんの本に、こんなことが書いてあるとは思いもよりませんでした。トピックは「私」と「私たち」から、「私」と「私たち」と「社会」に移ります。

「私」は「私たち」の一員ではあるけれど、しかし、その「私」の所属する「私たち」は、実のところ、一体感の持てない「彼ら」でしかない―こういう断絶があって、それが何度も繰り返されるのです。
「私」は「社会」の一員だが、しかし、その「私」の所属する「社会」は、実のところ、一体感の持てない「社会という意味不明」でしかない。
「私たち」は「社会」の一員だが、しかし、その「私たち」の所属する「社会」は、実のところ、一体感の持てない「社会という意味不明」でしかない。
(同上)

人間は社会性のある生物だと言われます。つまり、動物行動学的にみて、「群れをなす」動物だということができます。僕たちは日常的に、群れる=仲間と一緒にいることは自覚的にできます。いつも一緒にいる仲間というのは、たぶん、自分とどこか似ているところがあったり、気があったりして、共に行動することで気分が落ち着きます。でも、どこからどこまでが仲間なのか、ということを考え出すと、僕たちが所属している社会とはなんなのか、ということに考えが至ります。社会には、「僕」が知らない「仲間」がいるかもしれないし、これまでいたのだし、絶対いるはずです。それと同時に、「僕」とは相いれない「敵」や不和をもたらす人間がいることも間違いないわけです。つまり、社会というのは、潜在的な「仲間」が適度に配合された七味唐辛子が入った容器のようなもので、僕たちは、そのスパイスの粒を見分けて、どれが自分との相性がいいかを判断するのだと思います。

ポストモダンな現代思想の世界ではよく、「哲学の社会学化」が言われています。結局、哲学者=自分たちのように「哲学」をやる人が世の中にそんなにいないのではないか、という<不安>が、周りの人は何を考えているんだろう、という<疑問>に代わって、社会学っぽくなるんじゃないかと僕は思ったりしています。

そういうわけで、収拾がつかなくなってきたのでこの辺で筆を置くことにしますが、複数の人間から形成される、人間を超えた何かに思いを巡らすことは、すごく面白いですね!!それこそが「歴史」なのかもしれません。

7 月 11

おくやみ

「太陽ニュートリノに質量がある」という、ノーベル賞級の発見をした、素粒子物理学者の戸塚洋二氏が、昨日亡くなりました。享年66歳。死因はがんによる多臓器不全。戸塚氏は静岡県富士市出身です。同じ県出身の僕は、高校2年の春、つまり2003年3月15日、高校の同窓会の企画した講演会で、戸塚氏の講演を聴きました。日時を正確に記銘しているのは、講演終了後、戸塚氏に色紙にサインをもらいに行って、日時も記入してもらっていたから。そして、それを上京するときに持ってきていたから。いわゆる願掛けというものです。講演では、電子ニュートリノやμニュートリノやτニュートリノなど、科学雑誌”Newton”で読んだことはあっても、得体のしれない、聴きなれない用語がたくさん登場して、中学生のころから自称・科学マニアだった僕は、たいへん感激したことを覚えています。その前年の2002年は、戸塚氏の研究プロジェクトのボスだった、小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞しています。戸塚氏や小柴氏がニュートリノ研究を行っていた、岐阜県にある、神岡鉱山地下の「スーパーカミオカンデ(KAMIOKANDEとは、Kamioka+NDEの意)」から、ノーベル賞が再び出るとすれば、間違いなく戸塚氏に贈られるであろうということは、関係者ならずとも周知の事実でした。実際、ノーベル賞受賞者が予測される場では、戸塚氏の名前が頻繁に出てきました。

戸塚氏が現場を意外なほどに早く退き、東大からも職を離れたのは、病気の療養のためだったと思われます。貴重な素粒子物理学のパイオニアを66歳という年齢で失うことは、日本のアカデミアにとっては、大きすぎる痛手です。もっとはやく、戸塚氏にノーベル賞を受賞してもらいたかったと、正直に思います。

ご冥福をお祈りします。

6 月 21

火星で氷の存在を確認!


Yes, there’s ice on Mars

“Ice!” screams NASA’s Phoenix lander.

火星に着陸した、NASAのPhoenix Mars Landerが、火星の地面をかじりとり、氷が存在することを見つけました。氷であるとはっきり判別できたのは、その物体が、2-3日で消失したためです。もしもそれが塩の結晶だったら、消えることはないからです。

twitterにいるMarsPhoenixのコメント。

Whoohoo! Was keeping my eye on some chunks of bright stuff & they disappeared! Sublimated! So it can’t be salt, it’s ice
05:23 PM June 19, 2008 from web

Phoenixの想像図。

phoenix

わたしたちの「宇宙時代」は、まだまだ黎明期です。<紀元>前といったほうがいいのかもしれませんが、これからいろいろな何かが始まりそうな気がしています。

6 月 19

同性愛、人肉食、死刑執行

California Gay Marriage: What It Means for You and Me Legally - gaywired.com

“As of 5:01 on Monday June 16, 2008 marriage will be available equally to all adult couples irrespective of sexual orientation,” says Pizer, who also advises policymakers in Sacramento and nationwide on laws to protect domestic partners and co-drafted AB 205, California’s comprehensive Domestic Partner Rights and Responsibilities Act of 2003.

“[Today] We will see the first marriages performed in California for gay and lesbian couples with the full backing and endorsement and official civil blessing of the state. Those marriages will be as legal and valid and important under California law as any other marriages and there’s no residency requirement,” Pizer says.

(from gaywired.com)

アメリカ合衆国カリフォルニア州で、同性結婚が合法化されました。合衆国各地から、同性愛カップルたちが、カリフォルニア州に、文字通り、駆け込んでいるそうです。ゲイは、いまや喫煙者よりも市民権を獲得したといっても過言ではないでしょう。社会的抑圧はまだまだ消えないでしょうが、彼ら彼女らは、どこか生き生きと見えます。

“Gay Genes” May Be Good for Women

ScienceNOWでは、ゲイ(男性の同性愛者)の遺伝子に関する研究が紹介されています。「ゲイは(部分的な)遺伝的素因である」ということが、20年近く前から言われているそうですが、いまだに、どの遺伝子が原因で、ゲイになるのか、ということはよくわかっていません。男性の同性愛者は、残す子孫の数が普通の男性(=ノンケ)よりも圧倒的に少なく、進化的にみて不利なはずなのに、どうして人口の中で一定の数を占めるているのでしょう。不思議ですね。この疑問(Gay Paradox)を解決する、あたらしい仮説が唱えられました。それは、「男性がゲイの遺伝子をもっていると、同性愛者になるように働く一方、女性が同じ遺伝子をもっていると、子孫をたくさん作りやすい」というものです。なるほど(!)という感じです。この研究を報告したのは、イタリアの遺伝学者。イタリア人は情熱的。イタリアはカトリックだから、同性愛は教義に背いていると考えている人が多いのでしょうか。とうてい、日本では、こういう研究をやってみようとは思いもしないでしょう。

論文は以下のリンクから見ることができます。
Sexually Antagonistic Selection in Human Male Homosexuality

宗教的社会的タブーには、かつての男色、同性愛、死、近親相姦、殺人、強姦など、肉体としての人に関する事項がたくさんあるように見えます。その一つに、人肉食=Cannibalismがあります。カニバリズムというと、まず思いつくのは、人食いハンニバルのハンニバル・レクター博士。トマス・ハリスが生み出したキャラクターです。それ以外にも、フィクションの題材として、カニバリズムがよくつかわれています。たとえば、舞城王太郎の『山ん中の獅見朋成雄』。読んだことはありませんが、大岡昇平の『野火』。江戸川乱歩の『闇に蠢く』。夢野久作の『人間腸詰』。ノンフィクションでは、辺見庸の『もの食う人びと ミンダナオ島の悲劇』。図書館で借りた『世界の名著 モンテーニュ』にも、「人食い人種について(エセー・第Ⅰ巻・第31章)」というタイトルの文章がありました。

実際に起きた事件では、1988年から1989年にかけて発生した、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件。通称M事件。1985年生まれの僕自身が<幼児>のころに起きた事件なので、まったく記憶はありません。その事件の犯人であるMの死刑執行が、2008年6月17日に行われました。今回の死刑執行が、2008年6月8日の秋葉原無差別殺人事件のために早まったのではないか、という憶測があるようです。そうなのかもしれません。Mが小児愛者=pedophiliaだったのかどうかはよくわかりませんが、社会認識として「オタク犯罪者」だといわれているのは確かです。なんというか、「オタク⇔犯罪者の素質が十分にある」という観念が確立しきってしまったようです。現代日本において、オタク、アキバ、アニメ、美少女ゲー、エロゲーなどというフレーズは明らかにタブーになってしまっています。

オタクにとっては、本当、生きにくい時代です。

6 月 18

太陽系外惑星を3つまとめて発見!


Three-of-a-kind planets found

Survey for ’super-Earths’ finds worlds like ours may be common.

nature newsより。地球から42光年離れた、HD 40307という、太陽に似た恒星の軌道をまわっている、惑星が3つ見つかりました。その3つは、地球の質量のちょうど4倍から9倍の質量をもっていて、3つのうちのあるものは、恒星を1周するのにわずか4日しかかかりません。つまり、これらの惑星は、僕たちの想像が及ばないくらいのスピードで、公転を続けているのです。

このような惑星は、”super-Earth”(超‐地球)?とよばれていて、天文学者たちには、なじみのある惑星なのだそう。”super-Earth”に生き物がいるとしたら、どういう形態と生態を有しているのでしょう。地球上の生物と比べて、まったく異なっているのでしょうか、それとも、案外、似ているのでしょうか。

太陽系外惑星に関しては、このブログで「太陽系外惑星を発見!」という話題をとりあげています。今後もフォローしていきたい、一大トピックです。

直接の関係はありませんが、Extra Planet、あるいはExtrasolar Planetと、英語の形容詞の”explanatory”が、何となく似た語感をもっているような気がしました。explanatoryは、「説明のための、注釈的な、解説の、説明的な」という意味をもっている言葉で、”explanatory note”は、「注釈、凡例」を意味します。僕という個人が、日常を過ごしながら、「自分自身に注釈をつける」という感覚に、けっこう、あっているなあと思ったりしました。ちなみに、”self-explanatory”は、「見ればすぐわかる、一目瞭然の、読んで字の通りの」という意味。人と人とのコミュニケーションにおいても、”self-explanatory”の要素があればいいのになあ。

6 月 14

エリスとプルートー

2008年6月11日、ノルウェーのオスロで開かれた国際天文学連合(IAU)執行委員会で、冥王星とエリスに、冥王星型天体(Plutoid)という名前が与えられました。惑星の定義を巡る問題としましては、2006年8月24日に、チェコのプラハで開催された国際天文学連合総会で、冥王星が「惑星」から除外され、準惑星(dwarf planet)という新たなグループに入ることになった、というニュースが記憶に新しいと思います。どうして、冥王星の「惑星」としての地位が揺らいでしまったのかというと、1990年代以降、(冥王星よりも内側の)海王星の外側の軌道を運行する天体(太陽系外天体、TNO)がたくさんみつかってきたためです。カロン(冥王星の衛星)、クワオアー、セドナ、そしてエリス。エリスは冥王星よりも大きな天体です。エリスこそが、この論争の最大の火種です。2003年10月21日に撮影された写真に映っているのを、2005年1月8日にマイケル・ブラウン氏らが発見し、同年7月29日に発表されました。エリスの由来は、トロイア戦争の遠因となったギリシア神話の不和と争いの女神。神話でエリスが引き起こした争いを、エリスが天文学にもたらした惑星の定義をめぐる論争に喩えています。エリスには和名がありませんが、中文名があります。それは、鬩神星(げきしんせい)。「鬩」は「せめぎ合う」の意。オシャレな名前だと思います。

冥王星型天体

冥王星が最初に発見されたのは、1930年のことでした。冥王星は、月を含めた、太陽系惑星の衛星よりも小さく、軌道が黄道面よりも大きく傾いていて、変則的です。もともと、海王星よりも内側の惑星たちと比べて、かなりの変り者でした。Wikipediaによれば、冥王星を発見したクライド・トンボーがアメリカ人であったことから、冥王星は1930年の発見以降長い間、アメリカ人が発見した唯一の惑星とされ、アメリカ人の誇りとされてきたそうです。ディズニーのキャラクター「プルート」は、冥王星が発見された年に誕生しており、冥王星(プルート)から名前が取られているみたいです。

冥王星の由来は、ギリシャ神話に出てくる、冥府(死者の国)の神、ハデス。僕は一時期、ギリシャ神話に凝っていたことがあり、ハデスが、ゼウスとデメテルの子であるペルセポネを、妃として迎え、地下にある冥府に連れていくエピソードに興味をもったことがあります。かわいそうなペルセポネは、冥府の食べ物であるザクロを食べてしまい、冥府から出られなくなってしまいます。ペルセポネの母、豊穣の神デメテルは、娘が連れ去られてしまったことを嘆き悲しみます。豊穣の神が悲しんだせいで大地は退廃してしまいました。全知全能の神ゼウスは、このままではいけないと考えた末、ペルセポネに、一年の三分の一をハデスのいる冥府で、残り三分の二をデメテルのいる地上で過ごすように命じます。二重生活。ハデスは不服ながらこれを受け入れました。こうして、ペルセポネがいる期間は、デメテルは喜び、大地に恵みが与えられ(春)、ペルセポネがいない期間は、悲しみで大地が荒れるようになりました(冬)。これが、四季の始まりなんですね。

天文学の話題には、いつも、ギリシャ神話の世界や西洋占星術のことが、衛星のようについて回るのが面白いですね。神話それ自体でも十分面白いのですが、それが星として、「観測可能」だというのがいいです。古代人はえらいです。ちなみに、東洋にも、星座というのがあったそうですが、文化としてなくなってしまったのだそうです。

そうそう、このブログのタイトル、EXTRA PLANETには、<冥王星>の意味もあったりするんです。というか、もともとは、冥王星が「余剰の/余りモノの」惑星となってしまったことが、僕の頭の中にかなり長い間残っていて、EXTRA PLANETというタイトルとして結実し、こうして顕在化した、と考えるのが、深層心理学的(?)にはふさわしいのでしょう。それにしても冥王星は、冥府の王よろしく、生きているのか死んでいるのか、わかりませんね。LIVING DEAD=生ける屍。

extraですが、今後とも、御贔屓ありますよう(落語調)。

6 月 05

太陽系外惑星を発見!

太陽系外惑星発見のニュースがScienceのニュースに載っていました。セントルイスで開催されているAASのミーティングで発表されたもので、これまでに見つかった300余りの太陽系外惑星のうち、最小の質量をもった惑星なのだそうです。MOA-2007-BLG-192Lと名付けられたその惑星は、地球の3倍の質量をもっていて、太陽-地球間の距離の70%の軌道を運行しています。ちなみに、これまで見つかった惑星は、質量が木星の何倍もあった!この画期的発見をもたらしたのは、microlensingという技術です。詳細は今度調べます。

今回見つかった惑星がまわっている恒星は、太陽の6%の質量で、コアで核融合反応が起きていないらしく、地球というよりは、海王星に近いと考えられています。とにかく、地球と環境が似ているということが、生命が棲息している可能性を高めることは間違いないでしょう。

このブログのタイトルは、”EXTRA PLANET BLOG”で、アドレスは、http://extra-pla.net/wp。まさに、この太陽系外惑星=Extrasolar Planetを意識してのネーミングです。宇宙のどこかに地球のような星があったらいいなあ。または、生命が存在した証拠があったら面白いなあ。このような発想から誕生した名前です。「きぼう」という宇宙センターのパーツが打ち上げられて、星出さんがスペースシャトルから作業をしているようですが、Extrasolar Planetの存在は、僕たちにとって<きぼう>以外の何物でもありません。

ご存じの人もいると思いますが、「地球外生命(正確には”通信できる地球外生命”)の数」を計算して推定した人がいます。それは、1961年にフランク・ドレイクというアメリカの天文学者が考えた計算方法で、ドレイクの方程式と呼ばれています。

N = R* × fp × ne × fl × fi × fc × L

記号は以下のように定める。
N :我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数
R* :我々の銀河系で恒星が形成される速さ
fp :惑星系を有する恒星の割合
ne :1つの恒星系で生命の存在が可能となる範囲にある惑星の平均数
fl :上記の惑星で生命が実際に発生する割合
fi :発生した生命が知的生命体にまで進化する割合
fc :その知的生命体が星間通信を行う割合
L :星間通信を行うような文明の推定存続期間

とにかく、掛ける項の数が多いです。なおかつ、なんとも奇妙な方程式です。でも、天文学や宇宙物理学は、遠く宇宙に思いを馳せるロマンチックで冒険的で素敵な学問だと思います。西のほうで宇宙物理を専攻している、高校の同級生の健闘を期待しつつ。

5 月 10

倫理観が試されている

One tear…, originally uploaded by gunnisal.

今回は、神経倫理=Neuroethicsの話。イリノイ大学の行動経済学者のMing Hsuたちが行った研究がSCIENCE EXPRESSに掲載されています。「重大な決断をせまられたときに、人はどのような選択を取るのか」というテーマに基づいて、fMRIで脳の活動記録をモニタし、解析するという手法をとっています。学問的にいうと、社会的意思決定(Social Decision-Making)の範囲に入ります。

さて、Hsu氏たちが行った実験ですが、こんな具合です。26名のVolunteerに、ウガンダの実在する児童養護施設のこどもたちに食べ物を寄付することになった旨を説明する。60人のこどもたち一人一人に24回分の食事を寄付したい。ところが、寄付する予定だった数回分の食事がどこかへ行ってしまった。なので、あなた=Volunteerにその配分を決めていただきたい。決め方は、次の二通りです。

1)一人の子供Aにだけ、X回分の食事を食べさせない。

2)二人の子供(BとC)に、Y回分の食事を食べさせない。

たとえば、1)では一人の子供が15回食べられず、2)では二人の子供がそれぞれ8回ずつ食べられないという選択を設定します。少し考えればわかりますが、この場合、2)の選択の方が、より「良い」選択であるといえます。実際、ほとんどすべてのVolunteerがこちらを選択しました。ところが、二人の子供が食べられない食事の回数が多くなると興味深いことが起きました。

※途中です

ここから再開↓

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5 月 04

Final Trip

今回もサイエンスの話を取り上げてみますが、かなりサイケデリックな方向に傾いています。先月29日、LSDを世界で初めて合成し、LSDによる幻覚を世界で初めて体験した、スイスの合成化学者、アルベルト・ホフマン博士が亡くなったそうです。死因は心臓発作。享年102歳。

ホフマン博士は、1938年にLSDを合成していたのですが、LSDのもつ幻覚作用を見出したのは、それから5年経った1943年でした。その年の4月16日、たまたま指先に付着した微量のLSDを摂取してしまい、博士は眩暈を感じました。眩暈が本当にLSDによるものかどうかを確かめるため、博士は自分の体をつかって実験をすることにしました。4月19日、博士はLSDを0.25mg摂取し、助手に自転車を持ってこさせ、自転車に乗って家に帰ることにしました。家に帰る途中、博士は視界が万華鏡のように変転するのを感じたそうです。LSD信奉者たちは、この日を記念して、”Bicycle Day”とよんでいます。

自分が作り出してしまった、未知の物質を自分の体で試してみる、というのは、ふつうの合成化学者はやりたがらないし、やろうとは思わないでしょう。というのは、有機化合物は、大部分が生体にとって有害だからです。それを知っていて、あえてやってみるという、ホフマン博士の無謀で冒険的な行動は、評価されるべきでしょう。

先のNY Timesの記事にあったホフマン博士の言葉。

“Through my LSD experience and my new picture of reality, I became aware of the wonder of creation, the magnificence of nature and of the animal and plant kingdom,” Dr. Hofmann told the psychiatrist Stanislav Grof during an interview in 1984. “I became very sensitive to what will happen to all this and all of us.”

ところで、LSDといえば、カウンターカルチャーが隆盛を極めていた1960年代、一世を風靡した幻覚剤として有名です。ライ麦などに寄生する麦角菌(Ergot)が生成する麦角アルカロイドから半合成されます。

LSD - 3D structure
画像:Image:Lsd.pdb.gif - Wikipedia

上の画像は、LSD(Lysergic acid diethylamide)の三次元立体画像。WikipediaのLSDの項目は、非常によく書かれています。

ホフマン博士は、サイケデリックな1960年代に、ティモシー・リアリーや、アレン・ギンスバーグ、そしてオルダス・ハックスレーという面々と友人関係にあったらしく、作家や芸術家をはじめ、LSD愛好者から慕われていたことがうかがえます。

こちらは、ティモシー・リアリー。”Turn On, Tune In, Drop Out”の呼びかけ。

こちらは、オルダス・ハックスレー著の”Brave New World”です。近未来的ディストピア。

クスリ(DRUG)のもつ作用は、一般的にいって、強烈です。この事実は、ヒトの体が、イオン・低分子と高分子化合物から成り立っているという何よりの証拠です。だから、人間の精神活動や知的活動も、物質的基盤がなければありえないわけです。Psycho-Physio-Pharmacoという、三つのP(一つのΨと二つのΦ)は関係が深いんですね。

それにしても、一つの化学物質が、人々の生活や文化や創造性、さらには死生観まで変えてしまうとは、不思議ですね!!