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まれびとカンブリアン
Posted on 12月 28th, 2009 No comments先日12月26日に開催された、はじまらないシンポジウムーまれびとカンブリアン。
安斎利洋×中村理恵子の授業を受けていなかったら、こんなところこれなかった。
ある意味今年の大きな収穫物&到達点の一つです。写真(HDR技術による)は、アーティスト幸村真佐男氏の作品。会場の様子。
幻想空間が出現。レモン色のニットを着た僕はさてどこにいるでしょう? -
いろいろまとめ
Posted on 12月 4th, 2009 No comments自分の好奇心の行きつくトコロ、顔の前面に二つ平行に並んでいる眼球ではなくて、
嗅覚や直観の赴くままに行動している今日この頃です。キーワードをまとめます。
【アート】トロルとは何か。
「アート・プロジェクトの設計」@文化・人間情報学特別講義Ⅱ(東大大学院学際情報学府、教育部合併授業)
12月2日(水)「杖道とアート」togetterまとめ【メディカル】歯と骨。骨代謝。
東京医科歯科大学グローバルCOEプログラム。デント・メドミクスのインテリジェンスハブ【サイエンス】カロリー制限と延命。AMPK。カロリスジャパン。
New York Timesの解説。【映画】2012。説明はとくになし。まずは見て!Sonyやるなー。
【本】シモーヌ・ヴェイユ‐重力と恩寵
ジャック・アタリ‐21世紀の歴史――未来の人類から見た世界
日野原重明‐生きかた上手【聖書】研究中。
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本を読む人
Posted on 11月 29th, 2009 No comments過去を見つめ
出来事を記し
未来を見据え
思いを定めつつ
いまを生きるやるべきことがある
なにをどうやるかなんていうことは
とっくのむかしから知っているEverything is Borrowed – The Streets
これを歌ってるMike Skinnerも相当の読書家らしい。 -
Gauguin
Posted on 9月 19th, 2009 No commentsゴーギャン展観にいった。
平日午前だったけど(こんな時間に行ってもいいのだろうか?余裕だね)、
23日で終りなので、まあまあ混んでいた。Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?
「わたしたちはどこから来て誰でどこに行くのか。」が
一番の目玉だった。観れて良かった。せっかくなので10分くらい眺めた。ゴーギャンが描くタヒチの人たちは黄色や茶色をしている。
白人のゴーギャンには本当にそう見えたのか。あの絵をみるとき、「向かって右から左へ歩きながら見てください」という
指示があったので、みんなそうしていたけれど、ツアーみたいにヒトの成長と
衰退の一大絵巻として眺めることもできるだろうし、そうではなく、
一枚の瞬間を切り取った絵としてとらえることもできるだろう。右から左へ、真ん中のリンゴをとっている人を頂点に山ができる。
絵の左上と右上が黄色く縁取られていることに、今回見て初めて気がついたの
だけれど、その縁取りが、視線の山型の動きを促す効果をもつ気がする。
中央の女性を含め、このなかの誰がどれくらい自分について知っているのだろう、
というメッセージを感じた
(若い時は自分が人生のどこにいるかわからないみたいな)。なによりあの「巻物」のなかの人たちは、のうのうと水浴したり、
リンゴを摘み取ったり、リンゴをかじったり、憂いの表情をうかべたりして
いるだけではなくて、実際、左隅の老婆と右前面、赤子の隣の二人組は
こちらをしげしげと見つめている。赤子の傍の二人組は、貴方がどこから来たのか気になっているようだ。
反対に左隅の老婆。もう髪は白く、肌はすっかり艶を失っていて、
「あんたも同じだろ」と語ってくるように見える。
老婆の左の白い鳥は、トカゲを踏みつけている。蒼い偶像が描かれている。
おそらく木彫りのこの像は人が造ったものにすぎないけれど、
人の世の中を超越する存在をこのときのゴーギャンは信じたのだろうなと思った。ゴーギャン展作品少ないと感じたけれど、ゴーギャンの画家としてのキャリア自体が
短かったわけで、そう考えるとほかの印象派画家たち(モネ、ルノワール)と
比べてゴーギャンがやや異端視されるのはキャリアのせいもあるかなと思った。 -
雑誌の休刊について
Posted on 8月 3rd, 2009 No comments雑誌の休刊が加速しているようです。
日本を代表するカルチャー雑誌『STUDIO VOICE』が8月発売号で休刊 – CINRA.NET
メインストリームからサブカルから、アート、写真、音楽、映画などなど幅広い話題を提供してくれた『STUDIO VOICE』が休刊することが決定しました。学業や諸々の活動のあいまに、書店に立ち寄っては『STUDIO VOICE』をふくめ、アート、音楽系の雑誌を立ち読みしては、リラックスした至福のひとときを過ごした自分としては、非常にがっかりしました。
『STUDIO VOICE』の秀でているところは、「日本の雑誌」とは思えないようなグラフィックの迫力。表紙&グラッフィックが目を惹く強度。写真関係の特集では、かなりコアで灰汁が強い写真家を紹介していて、「世界にはこんな写真家がいるのか」と思わせてくれたりしました。
立ち読みすることはあっても、僕が実際手元に置くために購入したのは、2005年08月号‐アート界最後のカリスマ!? マシュー・バーニーの世界と2007年02月号‐リヴァイヴァル以降の「80年代カルチャー」総括!の2冊だけだったので、売り上げに貢献していたとは言い難いわけです。やっぱり、みんなが買わなくなれば消えて行ってしまうものなのでしょうか。考えてみれば、特集ごとにアート、音楽、写真集、本など、分野がごった返していたのもよくなかったのかもしれません。次の8月6日号は買ってみようと思います。
雑誌の休刊が相次いでいますね。
「硬い」論壇調のところでは、「月刊現代」「論座」「諸君!」など。僕たちが「硬い」と思って敬遠していること自体売れない原因なのでしょうが。「論座」は割とロスジェネ論壇を扱っていて、興味で一冊購入してみたりしたのですがいまひとつだったようです。「広告批評」「ART iT」「InterCommunication」なども消えてしまいました。「月刊トライアスロン」も、「ここの店じゃ置いてないのか」と思ってさがしていましたが、半年くらい前に休刊したようです。
雑誌と言うのは、あるジャンルに精通した人が、そのジャンルの水先案内人になって、わたしたち初心者を導いてくれるガイドであるとともに、多種多様な意見が飛び交う場でもあるわけで、そのようなサロン的な媒体=mediumが失われることは、”通な人”にとっても新米にとっても大きな打撃であるわけです。「SNSやmixiコミュニティでその役割が果たせるじゃないか」というと、ある面ではそうかもしれませんがそうでないかもしれない。「コラムニスト」とか「書評家」という人が食べていけなくなるので、雑誌編集者を含めての職業が成り立たなくなってしまうとすれば、一大事でしょう。
書店に通うのがちょっぴりつまらなくなりますね。
ちなみに、僕が書店に立ち寄るとぱらぱらと良く読む雑誌は、音楽だと、高校時代からはrockin’onやBUZZ、最近ではremixあたり。アートだと美術手帖。写真だとアサヒカメラ、Phat Photoなどデジタル中心。コンピュータだと週刊アスキー。アスキーは秋葉原で無料版を配っているのでよくもらいます。経済だと東洋経済と日経ビジネス。日経ビジネスオンラインは日経メディカルとともにメルマガ登録しています。
海外でおすすめの雑誌(英語)は、WIREDとDISCOVER。どちらも装丁・グラフィックデザインが優れていて、オンライン版にはない付加価値が十分にあります。
科学メディアについては、衰退著しく、書きだすと長くなるので短めにしますが、雑誌休刊がいまのように激化する以前から言われていて、研究者の社会的責務としてのサイエンス・リテラシーの普及活動やサイエンス・コミュニケーションが数年前からプログラムとして方々ですすめられています。しかしながら、トップダウン式のやり方ではなかなかうまくいかないようで。面白いことは山ほどあるのに伝えるべき手段を使って伝えられないもどかしさ。そういうことをブログで書くしかないのです。


