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long sleeper
Posted on 1月 31st, 2009 No commentsアー・ユー・ア・ロング・スリーパー?
イエス!
アイ・アム・ワン・オブ・ザ・ロング・スリーパーズ。近頃、土日は正午まで寝ていることが多い。
とくに用事がないということもあるけれど、夕飯を食べてすぐに寝て午前2時ころに目が覚めて、それからずっと起きているという生活を、だいたい週の後半(水・木・金)になるとおこなっているからだろう。加えて、週末の午前中に見る夢は、なんとなく心落ち着かせるテーマを扱ったものが多く、ずうっと寝ていてもいいかなーと思ってしまう。起きてからの1時間余は、もの寂しさが枕元からなかなか出ていこうとしない。緊張状態が解かれた休日の朝だからこそ、いい夢がみられるということが事実だとすると、現代の暮らしは悲しい。
睡眠と夢は、きわめて個人的な出来事だ。眠りについて考え始めると、いくらでも時間がつかえそうな気がする。眠っているときをのぞいて。
眠っているとき、わたしたちは孤独だ。しかしながら、眠っているときの孤独は、わたしたちが普段感じる孤独とは異なった孤独である。見渡す限り何もない広い草原に一人でいるようなものとは違う。見ず知らずの群衆のなかに一人でいるときの感覚とも違う。路上生活者やストリート・チルドレンに嗜眠(よくねむる)の傾向がみられるのは、おそらく孤独の感覚を変容させようとするからではないだろうか。
なぜ私たちは眠るのか。「それは眠りたいからだよ。」それ以外に理由はない。目的もない。夢を見るために眠るという人はおそらくいないだろう。どんな夢を見るかというのは、きわめて確率的な出来事で、起きているうちに体験した物事をおさらいしているのだという説もあるけれど、全部を夢に見るわけではなくて、<脳>はどれかを選択して夢を見させる。<脳>を主語にもってくるべきかは、注意深く考えないといけないところではあるけれど、まあいいとして、夢の内容はコントロールできないというのは事実だ。夢を見ているとき、「ああ、わたしはこんな夢を見てしまってる」と思っているものの、その状況から抜け出すことはできない。つまり、夢を見るのをやめることもできない。夢を覚えていれば、それを誰かに話したり、書きとどめることはできる。夢について私たちができるのは、それくらいだ。
明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)
を読むといいと思う。まだ読みかけ。
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