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  • 今月のまとめ

    Posted on 1月 31st, 2009 Yohei No comments

    1月も今日で終わり。

    「今月良かったこと」をまとめてみるのもいいと思った。以下箇条書き。

    • 第44代アメリカ合衆国大統領にオバマ氏が就任したこと。
    • 1月2日に久しぶりに母校の高校に行ったこと。
    • あさ弁当を作ってから出かけるようになったこと。食費の節約。
    • 川上弘美の小説が面白かったこと。
    • MOGWAIのライブに行ったこと。
    • などなど。

    心残りなのは、「すること」「したいこと」「ほしいもの」リストがまだできていないこと。そういえば2009年今年の目標は何にしたのだったろうか。

    「選択」と「集中」。

    これはビジネスの世界でいう、”戦略”に関係した言葉なのだけれど、これにしようかとふと思った。どちらかというと僕は、なにかを「継続」することは得意な方なのだと思う。endurance sportsというのはそのまま、持続するスポーツだ。けれども、ほかのものに目移りがして、「継続」が薄く長く続いて、かぼそい木綿糸の様になってしまうことが、これまであったように思う。「分散」は気晴らしとしてはとても良いのだけれど、効率化の対極にある。高校数学でやった線形計画法とか利益の最適化という言葉は、どちらかというと好みではないのだけれど、分散しすぎると自分がいま何処にいて何をしているのかわからなくなってしまいそうになる。さながら認知症の見当識検査のように。だからこそ、「選択」と「集中」がいいのかも知れない。

    もうひとつ。巧みな表現を身につける。

    ネコでも河童でもわかるような、わかりやすい表現というのは、突き詰めていくと誰でもできそうな気がする。難しい表現はなるべく避け、聞きなれない専門用語は排し、言葉を柔らかくすればできるからだ。僕が科学コミュニケーションに興味をもったのは、だいたい3年くらい前になるけれど、「中学生にも分かる」科学の面白さを伝える表現方法に強く惹かれたからだった。中学生のときの僕は、「自然のなかに隠された秘密」に並々ならぬ関心があった。ひょっとしたら、それは全部周囲に仕組まれていたことで、僕はやすやすとその側溝にはまりこんでしまったのかも知れない。科学技術創造立国という名のもとに。猜疑心は自己の拠って立つところを危うくするのでそれ以上は挟まないことにして、ここまでの話は「わかりやすい表現」についてだった。でも、いくら表現がわかりやすいからといって、みんながみんな「自然のなかに隠された秘密」に興味をもつかというとそれは違うと思った。それは、ひとりひとりが考えている自然はまったく違うからということもできる。人工物(文学・芸術も含んでの意味)の世界のほうが、広大で豊潤で味わいがあるという人もいるかもしれない。「隠された」ものなんかはどうでもよくて(ひょっとしたらそういうものがあるということ自体におぞましさを抱いて)、自分の目と耳と鼻と口と肌で感じた世界しか本物ではないという人もいるかもしれない。だから、そういう人たちはいくら「よくわかる○○」とか「明快□□」とかいうタイトルの本があっても、目に入らないのだろう。せっかく書いたもの、伝えたいと思って身を粉にし碌にものも食べずにして書き連ねたものが、誰にも読まれることがないというのは、つらいことだ。書いているときにもその不安(郵便的不安)を消し去ることはできない。どうすれば、より多くの人に届き易いものが書けるか。それは、共感を呼ぶもの、身近なものについて書くことだと思う。そのために、うまい比喩(明喩と隠喩)を見つけて考えて使うことは非常に大切だ。

    たとえばこんな↓

    彼女は文章を書くことにまだじゅうぶん手慣れていなかったし、その文体はときどき、異なった趣味と疾病を有する何人かの頑固な婦人たちが一堂に会して、ろくすっぽ口もきかずに作りあげたパッチワークみたいに見えることもあった。
    (「スプートニクの恋人」、村上春樹)

    こんな表現がいったいどこから出てきたのだろう。思いついたメタファーを書きとめておくことが大切だと思った。メモ帳をいつも持参しよう。

  • long sleeper

    Posted on 1月 31st, 2009 Yohei No comments

    アー・ユー・ア・ロング・スリーパー?



    Sleeping like a baby, originally uploaded by Chris Gin.

    イエス!
    アイ・アム・ワン・オブ・ザ・ロング・スリーパーズ。

    近頃、土日は正午まで寝ていることが多い。

    とくに用事がないということもあるけれど、夕飯を食べてすぐに寝て午前2時ころに目が覚めて、それからずっと起きているという生活を、だいたい週の後半(水・木・金)になるとおこなっているからだろう。加えて、週末の午前中に見る夢は、なんとなく心落ち着かせるテーマを扱ったものが多く、ずうっと寝ていてもいいかなーと思ってしまう。起きてからの1時間余は、もの寂しさが枕元からなかなか出ていこうとしない。緊張状態が解かれた休日の朝だからこそ、いい夢がみられるということが事実だとすると、現代の暮らしは悲しい。

    睡眠と夢は、きわめて個人的な出来事だ。眠りについて考え始めると、いくらでも時間がつかえそうな気がする。眠っているときをのぞいて。

    眠っているとき、わたしたちは孤独だ。しかしながら、眠っているときの孤独は、わたしたちが普段感じる孤独とは異なった孤独である。見渡す限り何もない広い草原に一人でいるようなものとは違う。見ず知らずの群衆のなかに一人でいるときの感覚とも違う。路上生活者やストリート・チルドレンに嗜眠(よくねむる)の傾向がみられるのは、おそらく孤独の感覚を変容させようとするからではないだろうか。

    なぜ私たちは眠るのか。「それは眠りたいからだよ。」それ以外に理由はない。目的もない。夢を見るために眠るという人はおそらくいないだろう。どんな夢を見るかというのは、きわめて確率的な出来事で、起きているうちに体験した物事をおさらいしているのだという説もあるけれど、全部を夢に見るわけではなくて、<脳>はどれかを選択して夢を見させる。<脳>を主語にもってくるべきかは、注意深く考えないといけないところではあるけれど、まあいいとして、夢の内容はコントロールできないというのは事実だ。夢を見ているとき、「ああ、わたしはこんな夢を見てしまってる」と思っているものの、その状況から抜け出すことはできない。つまり、夢を見るのをやめることもできない。夢を覚えていれば、それを誰かに話したり、書きとどめることはできる。夢について私たちができるのは、それくらいだ。

    明恵 夢を生きる (講談社プラスアルファ文庫)を読むといいと思う。まだ読みかけ。