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ほしいもの
Posted on 1月 25th, 2009 No commentsいま、ほしいものはなんですか?
とっさにこう訊かれて困ってしまう。
僕は、「すること」「したいこと」「ほしいもの」を毎年1月にリストにしてあとから達成度を振り返るということを2,3年くらい続けてきた。だが、2009年今年の分はまだ書いていなかった。リストにしようと準備していたことはあったような気がするけれど、思い出せない。
なんとなくで答えようとして、頭に浮かんだのは、「土地」がほしいということ。「土地」というのは突拍子もない感じがするが、1DKの住まいに数年間住み続けているとどうしても思ってしまう。ベランダ付きなのは幸いだけれど、どうも窮屈な感じがする。もしかしたら、「土地」というのはもっとほかの言い方ができるのかもしれない。「自分のための場所」がほしい。他の人が干渉することのない、「隙間」がほしい。そういえば、壁と冷蔵庫のつくる隙間に入り込んで寝るのが趣味という人の話を聞いたような。本で読んだのだったかも知れない。
僕がいま暮らしている東京が大都市であることはまぎれもない事実であり、世界を見渡してもこんなにいろんなものがごちゃごちゃしたところはないだろう。
話を続けていくと、「都市論」になってしまいそうである。東京論で僕が読んだことがある本は、東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)
などで、東京の東側に住んでいるものとしては、以前(2004~2006)住んでいた東京の西側に憧れる感じはする。東京はいいところだと思う。東京はいろんな顔をもっている。なんでも揃っている気がする。
ここで考え直す。ほしかったものは「土地」ではなくて、「部屋」だったのかも知れない。本を読むための部屋。勉強をするための部屋。料理をつくるための部屋。寝るための部屋。遊ぶための部屋。将来、自分がどこに住んでいるのかは、すごく気になるところではあるけど、書斎と物書きのスペースもしくはパソコンの部屋は絶対ほしいと思ったりする。
でも結局違う。Aをするための部屋とか、BやCをするための部屋というのはそもそもない。部屋という区画を設けるのは、それぞれの部屋でおこなう活動を限定することで、その活動に充てる神経を集中するためだ。コンパートメンテーション。漸く気がつく。集中を削いでしまうものがありすぎるからこそ、自分のための「隙間」がほしいと思ったのだと。だから、ほしいものがあるとすれば、「あることに集中するための心の余裕」と答えるべきだったのかも知れない。たしかに「余裕」がなくなることは、日々の事ごとに忙殺されてしまうことはかなしいことだ。
ほしいもの。この言葉を分析したい。まず、①それなりにがんばれば手に入れられるもので、ほしいもの。②かなりがんばらないと手に入れられないもので、ほしいもの。③ほとんど手に入る見込みはないけれど、ほしいもの。①~③は、お金とか財産とか、実在するものだ。④手に入ることは限りなくゼロに近いもので、ほしいもの。これは、他人にあって自分にはないもの。たとえば、賢さや体格や美貌。生まれつきの素因が大きく関係する。ちなみに僕は、いわゆる「地頭のよさ」はあると思う。つまり、④は嫉妬心からくるものということもできる。⑤空想にしか存在しない架空のもので、ほしいもの。あげるとすれば、未来予知能力と神通力(もっている人がいたらすまないが)。
というわけで、ほしいものというのは、なにが生み出すのかというと、心理学でいう欲望であるわけだ。欲望がなくなれば、ヒトは生物学的には生きていても、社会学的経済学的には死んでいるのかも知れない。欲望にたどりつけないでいるとき、欲望に向かっているまさにそのときに精神的充足があるとする理論もある。しかしながら、「心の余裕」がほしいという欲望は、果たして欲望足り得るのか。市場原理主義資本経済がもたらした「余裕のなさ」、「逃げ道のなさ」にどう対処するか。どうにかしなくてはいけない。時代の閉塞感を。
あなたがいま、ほしいものはなんですか?
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