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What Comes Next After Double Helix And Genome Sequencing??
Posted on 10月 23rd, 2008 No commentsシェ・タチバナのサイトから来られた方はご存じかも知れないが、私は、2008年10月22日に開催された、自然科学研究機構主催の分子生物学フォーラム「ワトソンとスタイツが語る未来の生命科学」の告知をおこなってきた。
http://watson-steitz.blogspot.com/
ジェームズ・ワトソンの講演のメモを少しながら公開。
a. Super students are self inspired!
b. Big jumps come by using new technologies more than new ideas.
c. Science by itself is incomplete.
さて。
DNA→RNA→?
これが今回の主なテーマだった。DNAが二重らせん構造をもっていることが発見されたのは1953年。DNAが自己複製し、DNAからRNAが転写され、RNAからタンパク質が合成されること(セントラル・ドグマ)は、細胞としての生命がおこなっていることのごく一部だった。DNAは、アミノ酸がつながったペプチドの配列をコードしているだけではなかった。遺伝暗号はまだ十分に解読されていない。non-coding RNAはながらく、分子生物学で亡霊のような存在だった。
遺伝学がそもそも対象にしてきたのは、ヒトや生き物の形態・行動的特徴、つまり表現型(phenotype)が、遺伝型(genotype)によって、整合性よく規定されているという仮定をもとにした、表現型と遺伝型のあいだの対応関係だった。分子遺伝学は、DNAの塩基配列におけるさまざまな変異が、表現型を左右することをあきらかにした。2003年に完了したヒトゲノム計画は、逐一遺伝子をノックアウトしては表現型をみるという作業を繰り返す、従来のやり方を根底から覆したという意味で、意義深いものだった。DNAのATGCと、コドン(塩基3つで1つ)に著されたアミノ酸22文字の綴りのすべては、すでに分子生物学者や生物情報学者たちの手中にある。逆にいえば、DNAに書かれていないことは、分子生物学では扱えない。
では、DNAに書かれていたこととはなんだったのか?それは何を意味していたのか?どんな意図があったのか?
生命の起源。生命の進化。適者生存(Suvival Of The Fittest)のシステム。深遠な問い。問いかけることで先に行けることもあれば、問い続けるだけで沈黙しなければならないこともある。絶対的な静止。「論理哲学論考」の末尾。
DNAに書かれていないこと。それは、micro RNAをはじめとする、未知なるRNAたちの挙動。タンパク質の分子機械的な動き。たくさんの細胞でできた<体>ができるにいたる形態形成。それはそうなのかもしれない。でも、「DNAに書かれていないこと」が、物質としての実体をもっているとは限らない。アミノ酸配列としての遺伝情報は、DNAに詳らかに書かれていた。しかし、物体としての高分子化合物のふるまいは、熱力学に支配された物理化学的現象だ。物理現象だって、当然情報として扱える。イメージングサイエンスは、細胞の時間的変動を「撮影」することで、生命現象を理解しようとする試みだ。そう考えれば、DNAに書かれていないこと。それは、個体としての生命が経験する「時間」そのものなのかもしれない。ベルクソンを例のごとく取り上げると、「持続=durée」に相当する。「持続」が生み出すものは何か。それは、「記憶」だった。
ひょっとしたら、ある意味では、DNA→RNAの次に来るものは、答えのない「?」でいいのかもしれない。永遠なる問い。もしくは、生命について考えつづける、サイエンティストとしての側面をもった人間の意志。生命科学を極めていったら、いつのまにか哲学的問いにぶつかった。生の哲学。それは、「生きていること」の記述ではなくて、「生きること」もしくは「活かすこと」について考えること。哲学の本質は「問いつづけること」。
幸いにも、わたしたちは知性をもった生き物だ。知性をもったヒトは、何かを与えられているし(gifted)、同時に負わされてもいる(Nobles Oblige)。問いつづけよう。何かを学び取るために。
多く与えられたものからは多く求められ、多く任せられたものからはさらに多く要求されるのである。
(『聖書』、ルカによる福音書12-48)
