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  • グーグル携帯の衝撃

    Posted on 10月 26th, 2008 Yohei No comments

    Google Androidプロジェクト初の携帯端末が米国で発売されました(2008/10/22)。名前は「T-mobile G1」です。アメリカでは、G1の発売開始にどれくらい注目が集まり、血湧き肉躍っているのかわかりませんが、翌月4日にせまった大統領選と、ますます深刻化する金融不安ですっかり印象が薄れているようです。iPhone 3G発売のときは、非常に盛り上がっていたようでしたが、僕としてはG1のほうが気になります。

     G1はHTC製。HTCといえば、最近発売されたWindows Mobile搭載のTouch Diamondは売れ行き好調みたいです。実際デザインもスマートでシックでシームレス。Windows Mobileの良いところは、Officeとの互換性がいいところ。とはいうものの、文書作成をするまでの操作性はよくないので(キーボードを外付けにするとかはある)、なくてもかまわない。一方、G1は、Gmail、 YouTube、Google Maps、 Google Talk、 Google Calendarに対応。しかも、Appleに対抗して、Amazonのmp3ストアで音楽ファイルを購入できるのが特徴。これはよさそう。

  • What Comes Next After Double Helix And Genome Sequencing??

    Posted on 10月 23rd, 2008 Yohei No comments

    シェ・タチバナのサイトから来られた方はご存じかも知れないが、私は、2008年10月22日に開催された、自然科学研究機構主催の分子生物学フォーラム「ワトソンとスタイツが語る未来の生命科学」の告知をおこなってきた。

    http://watson-steitz.blogspot.com/

    ジェームズ・ワトソンの講演のメモを少しながら公開。

    a. Super students are self inspired!

    b. Big jumps come by using new technologies more than new ideas.

    c. Science by itself is incomplete.

    さて。

    DNA→RNA→?

    これが今回の主なテーマだった。DNAが二重らせん構造をもっていることが発見されたのは1953年。DNAが自己複製し、DNAからRNAが転写され、RNAからタンパク質が合成されること(セントラル・ドグマ)は、細胞としての生命がおこなっていることのごく一部だった。DNAは、アミノ酸がつながったペプチドの配列をコードしているだけではなかった。遺伝暗号はまだ十分に解読されていない。non-coding RNAはながらく、分子生物学で亡霊のような存在だった。

    遺伝学がそもそも対象にしてきたのは、ヒトや生き物の形態・行動的特徴、つまり表現型(phenotype)が、遺伝型(genotype)によって、整合性よく規定されているという仮定をもとにした、表現型と遺伝型のあいだの対応関係だった。分子遺伝学は、DNAの塩基配列におけるさまざまな変異が、表現型を左右することをあきらかにした。2003年に完了したヒトゲノム計画は、逐一遺伝子をノックアウトしては表現型をみるという作業を繰り返す、従来のやり方を根底から覆したという意味で、意義深いものだった。DNAのATGCと、コドン(塩基3つで1つ)に著されたアミノ酸22文字の綴りのすべては、すでに分子生物学者や生物情報学者たちの手中にある。逆にいえば、DNAに書かれていないことは、分子生物学では扱えない。

    では、DNAに書かれていたこととはなんだったのか?それは何を意味していたのか?どんな意図があったのか?

    生命の起源。生命の進化。適者生存(Suvival Of The Fittest)のシステム。深遠な問い。問いかけることで先に行けることもあれば、問い続けるだけで沈黙しなければならないこともある。絶対的な静止。「論理哲学論考」の末尾。

    DNAに書かれていないこと。それは、micro RNAをはじめとする、未知なるRNAたちの挙動。タンパク質の分子機械的な動き。たくさんの細胞でできた<体>ができるにいたる形態形成。それはそうなのかもしれない。でも、「DNAに書かれていないこと」が、物質としての実体をもっているとは限らない。アミノ酸配列としての遺伝情報は、DNAに詳らかに書かれていた。しかし、物体としての高分子化合物のふるまいは、熱力学に支配された物理化学的現象だ。物理現象だって、当然情報として扱える。イメージングサイエンスは、細胞の時間的変動を「撮影」することで、生命現象を理解しようとする試みだ。そう考えれば、DNAに書かれていないこと。それは、個体としての生命が経験する「時間」そのものなのかもしれない。ベルクソンを例のごとく取り上げると、「持続=durée」に相当する。「持続」が生み出すものは何か。それは、「記憶」だった。

    ひょっとしたら、ある意味では、DNA→RNAの次に来るものは、答えのない「?」でいいのかもしれない。永遠なる問い。もしくは、生命について考えつづける、サイエンティストとしての側面をもった人間の意志。生命科学を極めていったら、いつのまにか哲学的問いにぶつかった。生の哲学。それは、「生きていること」の記述ではなくて、「生きること」もしくは「活かすこと」について考えること。哲学の本質は「問いつづけること」。

    幸いにも、わたしたちは知性をもった生き物だ。知性をもったヒトは、何かを与えられているし(gifted)、同時に負わされてもいる(Nobles Oblige)。問いつづけよう。何かを学び取るために。

     多く与えられたものからは多く求められ、多く任せられたものからはさらに多く要求されるのである。

    (『聖書』、ルカによる福音書12-48)

  • Torture and Tornado

    Posted on 10月 18th, 2008 Yohei No comments

    ブログタイトルをわざわざ頭韻を踏むようにしているのには、幾ばくの理由もありませんが、語の末尾が同じになる脚韻よりも、まったく違う言葉と言葉をつなげてならべることができるのが、頭韻のいいところだと思います。

    Tornado=竜巻から連想すると、今年は台風上陸が本州ではゼロだったような気がしています。珍しいですね。メタファーとしての”波乱”は、例年とは比にならないほど、至るところでみられますが。

    今回も、中学3年生頃に書いた詩をほり起こしてみます。

    ぼくのまうしろにいる
    うしろをむいたぼく。
    まえしかみえないぼくら。
    目をあわせることはない。

    目のうしろ、背後には
    どんな信じられないものがあっても
    なんにもおかしくはない。

    きまったもの
    予想できるものしかなくて
    つまらない。

    (無題、あるスケッチブックより)

  • Music and Mutagen

    Posted on 10月 14th, 2008 Yohei No comments

    最近レンタルで聞いている音楽。

    Animal Collective – Fireworks

    The Magnetic Fields- All my Little Words

    Arcade Fire – Black Mirror

    Battles – Tonto

  • Seasons and Sensitivity

    Posted on 10月 12th, 2008 Yohei No comments

    季節は変わり、感受性は変わる。

    そんな今日この頃です。

    国際的にみても、日本人による日本人論を見ても、日本人については、議論ができないとか、長いものに巻かれやすいとか、ネガティブイメージが先行しているように思いますが、日本人がもともと持っている(ように感じられる)感受性の高さについては、もっと評価されてもいいのではないかと思います。感受性を養うものとして、よく持ち出されることは、「季節の移り変わり」がもたらす、身の回りの変化。日本人はこの変化を敏感に感じ取ることができて、それを散文とか歌や俳句で表現するということを、万葉の時代からずっと、やってきたわけです。

    僕も、数年前から詩を書き始めていて、書いてない期間もありますが、むかし書いた詩を読み返していたので、気恥ずかしいですが、一つだけのせてみたいと思います。

    僕は光になれない。
    真っすぐ進むことも
    秒速30万キロで走ることもできないから。
    何かとヒトと衝突を繰り返す日々。
    光になれなくても
    光を放つことができたらどんなにいいだろう。

    陽によって陰はつくられ、
    闇によって光はともされる

    (無題、あるスケッチブックより)