6 月 14

エリスとプルートー

2008年6月11日、ノルウェーのオスロで開かれた国際天文学連合(IAU)執行委員会で、冥王星とエリスに、冥王星型天体(Plutoid)という名前が与えられました。惑星の定義を巡る問題としましては、2006年8月24日に、チェコのプラハで開催された国際天文学連合総会で、冥王星が「惑星」から除外され、準惑星(dwarf planet)という新たなグループに入ることになった、というニュースが記憶に新しいと思います。どうして、冥王星の「惑星」としての地位が揺らいでしまったのかというと、1990年代以降、(冥王星よりも内側の)海王星の外側の軌道を運行する天体(太陽系外天体、TNO)がたくさんみつかってきたためです。カロン(冥王星の衛星)、クワオアー、セドナ、そしてエリス。エリスは冥王星よりも大きな天体です。エリスこそが、この論争の最大の火種です。2003年10月21日に撮影された写真に映っているのを、2005年1月8日にマイケル・ブラウン氏らが発見し、同年7月29日に発表されました。エリスの由来は、トロイア戦争の遠因となったギリシア神話の不和と争いの女神。神話でエリスが引き起こした争いを、エリスが天文学にもたらした惑星の定義をめぐる論争に喩えています。エリスには和名がありませんが、中文名があります。それは、鬩神星(げきしんせい)。「鬩」は「せめぎ合う」の意。オシャレな名前だと思います。

冥王星型天体

冥王星が最初に発見されたのは、1930年のことでした。冥王星は、月を含めた、太陽系惑星の衛星よりも小さく、軌道が黄道面よりも大きく傾いていて、変則的です。もともと、海王星よりも内側の惑星たちと比べて、かなりの変り者でした。Wikipediaによれば、冥王星を発見したクライド・トンボーがアメリカ人であったことから、冥王星は1930年の発見以降長い間、アメリカ人が発見した唯一の惑星とされ、アメリカ人の誇りとされてきたそうです。ディズニーのキャラクター「プルート」は、冥王星が発見された年に誕生しており、冥王星(プルート)から名前が取られているみたいです。

冥王星の由来は、ギリシャ神話に出てくる、冥府(死者の国)の神、ハデス。僕は一時期、ギリシャ神話に凝っていたことがあり、ハデスが、ゼウスとデメテルの子であるペルセポネを、妃として迎え、地下にある冥府に連れていくエピソードに興味をもったことがあります。かわいそうなペルセポネは、冥府の食べ物であるザクロを食べてしまい、冥府から出られなくなってしまいます。ペルセポネの母、豊穣の神デメテルは、娘が連れ去られてしまったことを嘆き悲しみます。豊穣の神が悲しんだせいで大地は退廃してしまいました。全知全能の神ゼウスは、このままではいけないと考えた末、ペルセポネに、一年の三分の一をハデスのいる冥府で、残り三分の二をデメテルのいる地上で過ごすように命じます。二重生活。ハデスは不服ながらこれを受け入れました。こうして、ペルセポネがいる期間は、デメテルは喜び、大地に恵みが与えられ(春)、ペルセポネがいない期間は、悲しみで大地が荒れるようになりました(冬)。これが、四季の始まりなんですね。

天文学の話題には、いつも、ギリシャ神話の世界や西洋占星術のことが、衛星のようについて回るのが面白いですね。神話それ自体でも十分面白いのですが、それが星として、「観測可能」だというのがいいです。古代人はえらいです。ちなみに、東洋にも、星座というのがあったそうですが、文化としてなくなってしまったのだそうです。

そうそう、このブログのタイトル、EXTRA PLANETには、<冥王星>の意味もあったりするんです。というか、もともとは、冥王星が「余剰の/余りモノの」惑星となってしまったことが、僕の頭の中にかなり長い間残っていて、EXTRA PLANETというタイトルとして結実し、こうして顕在化した、と考えるのが、深層心理学的(?)にはふさわしいのでしょう。それにしても冥王星は、冥府の王よろしく、生きているのか死んでいるのか、わかりませんね。LIVING DEAD=生ける屍。

extraですが、今後とも、御贔屓ありますよう(落語調)。

6 月 14

記念写真

new friends

最近、週一回のペースで、立教大学がある池袋に行くことになった。理由は、立教大学の社会人向け大学院で開かれている、「現代史の中の自分史」(セカンドステージ)を見に行くため。講義をするのは、ジャーナリストの立花隆さん。講義を受けるのは、第二の人生を歩みつつある人生の先輩である、シニア一歩手前の方々。みなさん、本当に生き生きしていらっしゃる。人生のひとときひとときを見つめなおし、見つめようとしている。人生経験が豊富な人は、語り書き連ねることが多い。自分はこれまで何をしてきたか。そして、いま、何をしているんだろう?WHO AM I?

立教大学は、街と大学が一体になっていて、雰囲気がすごくいい感じ。St. Paul’s Universityという英語の名のとおり、チャペルがあるミッションスクールだ。「自由の学府」を銘打っているとおり、のびのびしている。リベラルという言葉から連想される、新進的という感じはあまりしない。

立教大学の立花研究室に通うことになり、立教立花組子猫のメンバーの方々と知り合うようになった。写真は、6月5日の「現代史の中の自分史」の懇親会終了後に、受講生の方にとっていただいた写真。プリントされた写真なので、再度デジカメにとってアップロードする。ブレ具合がなんともいえなく、よろしい。左端が自分。

懇親会で、ある受講生の方に、こう言われた。

「今の自分については、語ることができない。今(=2008年)〇☐×△だった、ということは、少なくとも2-3年経ってからでないと振り返ることができない。」

自分よりも40年くらい前に生まれ、自分の3倍近く生きてきた方から発せられたこの言葉。真実なのだと思う。過去を顧みることばかりに固執するのは、よくないと思った。常に<いま>を追いかけたい。

6 月 14

a dialogue with a kitten

boy and cat 4

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