姜尚中氏は、在日韓国・朝鮮人二世で、東京大学大学院情報学環教授の政治学者。東大教授の中でも、きわめて特異な立場にいる姜尚中氏が、集英社新書から「悩む力」という本を出した。氏にしては珍しい「生き方本」だ。ビジネス本のタイトルではやりの「コミュニケーション力」「段取り力」「問題解決能力」「地頭力」等々にあやかってのネーミングかと一目見て思うが、注意しなければならない。おそらくそれとは正反対の計らいと考えるべきだろう。「悩む力」は、「ナヤムリョク」と読ませるのではなく、何もひねらず「ナヤムチカラ」と読むことが期待されているのだろう。類書と似ているようで、まったく違う。機知に富んだ皮肉が漂う。
僕は、姜尚中氏の講義を実際に受けたことがあるし、テレビ番組で拝見したこともある。姜尚中氏を知っている者ならだれでも、知性あふれる外見のスマートさと、スタイルの良さと、服のセンスの良さには溜め息を漏らすものだ。しかし、僕が注目するのは、氏の「声」だ。すべてを引き受けた人間が発する「声」。その声はかぼそく、慎重であるようでいて、奥底にある決意を聴衆に感じさせる。ファンが増えるのも無理はない。情熱=passionと冷静=coolが互いを主張しあうことなく一人の人間の内に共存している。僕は、姜尚中氏の話を聞いて、デューラーの描いた絵の素晴らしさを知ったし、ハンナ・アーレントの「人間の条件」に興味をもったし、エドワード・サイードの生涯に惹かれたのだった。姜尚中氏は、サイードを語るとき、いつも、サイードと自分との位置関係を確認しているようだ。先人と自分との距離を確かめることで、今の自分の方向性を調整する。そんな姿勢が見受けられる。
――最近は悩むことそのものが格好悪いという空気があるような気がしますね。
姜 みなさん、悩むことを不幸の種と考えているようだけど、これは不健全なことです。インターネットを見ても、「なぜあの人がああで私がこうなのか」「悩みのない人はむかつく、許せない」など、そういう情念の海が広がっています。でもね、僕は不健全だと思う。
実はね、悩むことも喜び。そのことに気づかないとね、ダメだと思うんですよ。やっぱり悩まないと、自分というものが分からないし、自分にとって大切なものも分からない。今のような悩むことを是としない風潮が、今の閉塞感を生み出しているんじゃないでしょうか。悩みをくぐり抜けないと、生きる力や思考力、創造的なアイデアは出てこない。それで、こういう本を書こうと思ったんですね。
(日経ビジネスオンラインの記事を引用)
「悩むことは、決してネガティブなことではない。」と姜尚中氏は語る。最近の風潮では何かと、下のようなフローが成り立ってしまっているようで厄介だ。
悩む ⇒ 凹む or 落ち込む ⇒ 引き籠る or 一人で塞ぎこむ ⇒ 絶望する ⇒ 再起不能に陥る
しかし、そんなことはない。たとえば、思春期の悩みがそうだ。男の子なら、声が低くなったり、親に反発したくなったりする。女の子なら、顔にニキビができてきたりして、悩む。でも、悩みを抱えながらもなんとかやっていけることに次第に気づく。
悩む
①いたみ苦しむ。病む。
②苦しむ。こまる。思いわずらう。
③とやかく非難する。
④(他の動詞の連用形について)…に難儀する。…しかねる。
(広辞苑第六版より)
そもそもの「悩む」の意味は、「苦しむ」に相当するということだ。それも、苦しみには「痛み」が伴う。
(姜) 悩み抜いて、突き抜けると、人間は必ず“横着”になれる。横着になった時、意外と死ぬなんてばからしい、もっとこんな生き方をしてみようか、という考え方になるんじゃないでしょうか。ここで言う横着とは、「悩み抜いて怖いものがなくなる」という状況と同じと考えてもらっても構いません。
(日経ビジネスオンラインの記事より)
必要なのは、悩み抜くこと。有益な情報をいくら提示されても、自分で答えを探すことができなければ仕方がない。つまり、「自分で答えを出す」その瞬間は、人を頼りにすることができない。悩み抜くことは、言い換えれば、孤独を偲ぶことと同じなのかもしれない。僕は、日経ビジネスオンラインの記事しか見ていないが、本書のほうも購入して読みたいと思う。
思い起こされるのは、有名なこのコトバ。
健全なる精神は健全なる身体に宿る
(mens sana in corpore sano)(ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」から)身体が強健であってこそ精神も健全である。(広辞苑第六版より)
もしくは、英語では下の表現。
A sound mind in a sound body.





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