生まれてきて20余年の僕の人生には、生身で接した、恩人というべき人たちが何人か存在する。
そのなかでも、生き方、知識の身につけ方と文章の書き方、そして、世界の広げ方について強烈なインパクトを与えてくれた人がいる。それは、ノンフィクション作家・評論家の立花隆氏だ。僕が立花氏と会うことになったきっかけは、東大駒場の1・2年生向けに2005年から開講された全学自由研究ゼミナール、「先端研究現場へ行こう(=立花隆ゼミ)」だった。僕が実質在籍していたのは、2005年10月から、2006年9月くらいまでで、いろんな研究室を訪問したり、記事を書いたり、講演会で話を聞いたり、ウェブサイトを作ったり、等々、考え付いた範囲でありとあらゆることをした。立花氏のもとに集まってきた、僕と同世代の学生20-30名は、そこらのサークルやバイトではあまりあるほどの、好奇心と情熱をもっていて、毎回ゼミの集まりがある水曜の夜は、遅くまで議論がヒートアップした。活動は休日におよぶこともあり、駒場のオープンラボラトリーにゼミ室を設けて、行けば必ず誰かいるというようなスペースもかつて存在した。知的な刺激にあふれた数ヶ月間だった。駒場を離れ、ゼミの活動に関与する機会がなくなってからも、ゼミの友人との付き合いは途絶えていない。
立花氏と個人的に親密な関係になっていった者も数名いた。おそらくは、僕もその中の一人に含まれることだろう。文京区小石川に、ネコビルという名前の、黒塗りのコンクリートの壁に猫のあたまが描かれた建物がある。それが、立花隆事務所だ。立花氏に直接会ったり、文章を書いてもらったりする必要があるとき、立花ゼミ生は、ネコビルを訪れる。そこは、<知の巨人>立花隆の作業場だ。地下1階から地上3階まで、あらゆる分野とあらゆる時代の本が惜しみないほど蓄えられている。数えても、きりがない。しかも、ネコビルにある本は、つねに殖えている。さまざまな出版社あるいは著者からの献本と、新しく購入された本によって。「生きている本棚」や「本のために存在するビル」というのがあることをはじめて知った。
タイトルの”1 year ago”について書くことにしよう。一年前の2007年5月6日にしたことが、手帳に残っている。僕は立花事務所に行っていた。その日の午前中は雨がたいそう降っていて、僕は飲食店のバイトを終えた後、秋葉原のSofmapでacerの22インチワイド液晶ディスプレイと、PanasonicのSDオーディオプレイヤー”D-snap”と、ASUSのグラフィックボードを買った。雨の日オプションというものを利用したので、液晶ディスプレイについては配達料が無料だった。それから、上野まで歩き、マルイシティ上野店の地下2階にあるGAPでチノパンを買い、上野東急というこじんまりした映画館で、レオナルド・ディカプリオが主演している”BLOOD DIAMOND”を見て、それなりに感動した。映画館を出て、歩いていると、立花氏本人から携帯に電話があり、立教大学の大学院の21世紀社会デザイン科の人が話を聞きたがっているので、これからネコビルに来ないかと言われた。僕は立花氏に行くことが可能であると伝え、上野から小石川まで30分くらいかけて歩いた。僕がよばれたのは、ネコビルではなくて、ネコビルの向かいにある柏木ビルだった。そこも、立花氏が物書きの仕事のために間借りしている。立花氏とゼミ生だったSくん、それに名前は忘れてしまったが、立教の学生さん2人がそこにはいた。立教の方たちも、立花氏が主宰する別のゼミに所属していて、立花さんを取材したいので、ビデオ録画の方法と、編集の仕方と、ウェブサイトへの載せ方を僕に教えてほしいということだった(僕は動画編集の専門的知識は持っていないが、立花氏の取材に同行してビデオ撮影をしたことがあった)。その場で取材は行われた。その時の様子が、Google Videoに投稿されているので、リンクしてみたい。
質問 - 今の若者について感じることは?
質問 - 立花さんが一番楽しい時は?
質問 - 生まれ変われたとしたら何になりたいですか?
その日はそれから、立花氏とSくんと近くのジョナサンで食事をしながら、いろいろしゃべり明かし、立花氏と別れてから、僕とSくんは、当時ゼミの幹事をしていたKくんの住むマンションまで歩いた。そういう一日だった。立花氏については、また詳しく書いてみたいと思う。



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