-
引用メモ3など
Posted on 4月 11th, 2008 2 comments生命とは何か。情報とは何か。自己複製系とは何か。自己とは何か。宇宙に生命が誕生する確率はどれくらいか。地球の外に生命は存在するのか。物質は進化するのか。言葉とは何か。何か。何か。何か。何?
問いが壮大すぎて眠れなくなる。それでも、「いま、ここ(here and now)」の感覚はたしかにある。
死は觀念である、と私は書いた。これに對して生は何であるか。生とは想像である、と私はいはうと思ふ。いかに生の現實性を主張する者も、飜つてこれを死と比較するとき、生がいかに想像的なものであるかを理解するであらう。想像的なものは非現實的であるのでなく、却つて現實的なものは想像的なものであるのである。現實は私のいふ構想力(想像力)の論理に從つてゐる。人生は夢であるといふことを誰が感じなかつたであらうか。それは單なる比喩ではない、それは實感である。この實感の根據が明かにされねばならぬ、言ひ換へると、夢或ひは空想的なものの現實性が示されなければならない。その證明を與へるものは構想力の形成作用である。生が想像的なものであるといふ意味において幸福も想像的なものであるといふことができる。(「人生論ノート」から)
参照元:青空文庫・三木清
2 Trackbacks / Pingbacks
-
[...] 僕は近頃、「自分自身の死」を考えるようになった。僕は、死の恐怖はあまり感じない。それは、「まだ当分の間生きていけるだろう」という安心からではなくて、「自分が死ぬときは、死ぬんだろうな」、または「一つの、そして一回限りのイベントがあるんだろうな」という理解からくるものだ。<死>については、三木清の引用文がとても役に立つ。家系的に、50歳までに夭逝してしまいそうな雰囲気がしている。目標は、2045年=60歳の誕生日を迎えることなんだけれど、どうなんだろう。 [...]
-
[...] 何かを考えたり、思い悩んだりするとき、何回も立ち返ってこられるところがあると楽である。僕の場合、その役割を果たしてくれているのは、『ゲーテ格言集』であり、『人生論ノート (新潮文庫) 』である。『人生論ノート』の三木清は前に引用したことがある。三木清は、ハイデッガーに師事したことのある哲学者・社会評論家・文学者で、『善の研究』の西田幾多郎とも関わりが深い。『人生論ノート』は、死について/幸福について/懐疑について/人間の条件について/孤独について/等々の短い章ごとに分かれて書かれたメモのようなもので(アフォリズムという)、いつでも気軽に読み返すことができる。三木清はおそらくものすごい量と質の文献を読んでいるのに違いないが、『人生論ノート』に書かれた言葉の数々は驚くくらいシンプルだ。三木清の言葉を支えているのは、彼自身の直観なのだと思う。これは、生まれもった才能といっていいくらいだ。 [...]
Leave a reply
-

To Saying “YES” To This World 6月 27th, 2008 06:38